都江堰

成都から西へ58キロ離れた都江堰市にある。都江堰は水利工事の名前でしたが、今は所在地の地名ともなりました。四川省は「天府の国」
と呼ばれておりますが、もし都江堰がなかったら今日の「天府の国」はなかったでしょう。工事は秦の始皇帝がまだ中国を統一する以前の紀元
前256年に着工したもので、ほぼ万里の長城建設と同じ時期です。岷江という長江の支流は農業灌漑、生活用水、工業生産などの面で
欠かせない重要な川で、その流れが都江堰市に入ったら玉壘山に妨げられ、増水期になると氾濫し、災害となった一方,東側にある成都
平野へ流れている灌漑水不足が深刻になっており、農業発展の障害となってきました。水を平野に導入しようという李冰、二郎親子(李冰は
、秦によって蜀に封ぜられた太守)が指揮する水利事業が発足しました。蜀を秦の支配下においたのは恵文王とされています。都江堰は、
恵文王から二代目の昭襄王(BC307〜BC251)の時代にいたって出現したといわれております。「宝瓶口」「魚嘴」「飛沙堰」の三つの部分
があり、「宝瓶口」が成都平野へ流れている水の入り口ともなっています。幅20メ−トル、高さ40メ−トル、長さ80メ−トルで、ボトルの口に
似ていることから名付けました。河の中にある人工小島で水が分流する所が魚の口の形をしていますから「魚嘴」と呼ばれたのです。それに
より新水路に水が流れます。さらに洪水を防ぐため「宝瓶口」と「魚嘴」との間に200メ−トルの「飛沙堰」を建設しました。2200年前には
まだ火薬が発明されておりません。その方法として岩山の上で火を燃やし、水をかけ岩石を割り工事を進めたそうです。



望江楼より魚嘴を望む  本流を分け水を四川盆地に導く

 

望江楼前の石碑                                  本流を支流と分ける魚嘴(手前が支流)  

 

                                       竹蛇篭(砂礫や玉砂利を積み上げる竹の籠)で造られていた頃の都江堰


  

            李冰親子を記念するため南北時代には玉壘山の麓に「崇徳祠」を建造             

 

                望江楼                          岷江の西側から東側へ行くには「安瀾橋」という吊橋を渡り魚嘴



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