トゥルム(Tulum)


トゥルム遺跡は絶壁の上にぐるりと城壁が取り囲む背後東側はカリブ海のマヤの遺跡としては、それほど大きい方ではない遺跡。マヤ人によって建設された
のは700年〜1000年頃で、その最盛期は1200年〜1400年(後古典期)ごろであったとされている。トゥルムとはマヤ語で「砦」を意味している。
コロンブスとマヤ人との最初の接触が トゥルムの北東のコスメル島の沖合で1502年に行われらしく、ここの堅牢な建造物をもつ文明に遭遇したと思われる。
1517年エルナン・コルテスのスペイン軍のユカタン半島侵攻の際にこの遺跡の完成度の高さに驚かされたという記述が残っているらしい。        
 1511年ジャマイカの沖合で難破したスペイン船の十数人の乗組員が13日間漂流し半数は途中で餓死したが、コルメス島に面したユカタン半島東岸に漂着した
 船長バルディビアと数名はマヤの一部族に捕らえられ食事や衣服などを与えられた。先住民は生贄用の犠牲者が自らやってきたことを喜びセノーテの神の供え物
として船長と数名が生贄にされました。次の犠牲者であることを悟ったゲレロとアギラールの2名はジャングルへと脱走したものの、二人はその後別々の部族に
 捕らえられ奴隷として熱心に働き戦功を重ね、ゲレロはマヤの貴族の娘を妻に迎えマヤ族に完全同化、その後アギラールはコルテスの元に仕え、アステカ征服の
 手助けをすることになる。ゲレロはマヤの戦士としてスペイン軍と最後まで戦い祖国の兵の銃弾に倒れるが英雄視され今でも多くのメキシコ人に慕われている。
マヤ歴に使われていた日数は16世紀後半までヨーロッパで利用されていた「ユリウス歴」より1年の正確な日数については正確であった。

  

三方を石壁に囲まれていて入場口から遺跡の入口城門までと出口城門からは入場口まではトレーラーに乗って行ける

  

遠くに海岸のリゾートが見える紺碧のカリブ海に遺跡のコントラスト

 

紺碧のカリブ海と白亜の遺跡のコントラストが素晴らしい

 

断崖の上には見張り台のような遺跡                      エル・カスティージョ



エル・カスティージョの区域、



太陽崇拝のため主要な建物は西向きに建てられカリブ海に沈む太陽に祈りを捧げていたらしい


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 、
アラカルト


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