パレンケ遺跡(Palenque)

1987年世界遺産 遺跡は紀元前1000年頃からのもの。マヤ随一の優美な建造物と浮彫の残るマヤ低地で最も西に位置する遺跡。確認できている王朝は
431年バラム・ククの即位からのもので最も繁栄するのは二人目の女王レディ・ザク・ククの息子パカルの治世615年頃からの68年間、9世紀以降徐々に
放棄され10世紀末には廃墟となり、ジャングルの中に埋もれ800年間の眠りについた。碑銘の神殿で1952年メキシコの考古学者アルベルト・ルスが床の
敷石を捲り地下に通ずる階段を見つけ、そこでヒスイの仮面を着けた遺体と数々の副葬品が発見された。古代マヤでは最高の宝石ヒスイで出来た仮面は
埋葬者の遺体の上に置かれていたと考えられるが発見当時はバラバラになっていたそうである。埋葬遺体は第11代パカル王とされるが王は687年に80歳
で亡くなったらしく、彫刻されているマヤ文字「ハラチ・ウィニク(真実の人)」や意味不明の文様から推測される埋葬者は王朝に関わりのあった
「特別の人物」であったのは確かだがパカル王であったかは遺体の推定死亡年齢が40歳前後であることと矛盾し謎である。マヤのピラミッドはそれまで
神殿の基盤と考えられていたが、ここで王の墓が発見されたことから支配者の墓であることが判明、その後ティカルなどでも墓が発見されている。



中央広場からの神殿郡(左の高いのが碑銘の神殿、右隣りのが「赤の女王」と呼ばれる遺体が発見された神殿、手前が髑髏の神殿)

   

  赤の女王の墓   考古学者アルベルト・ルスの記念碑         碑銘の神殿(ヒスイの仮面-絵葉書より-の発見された22.8mのピラミッド)

 

     宮殿 (10mの基壇の上に建てられている)                 十字の神殿(上層部分の建物の天辺に十字架のような模様が付いている)



中央広場からの宮殿(遠くが十字の神殿、右が碑銘の神殿の階段)

遺跡の中心部にあり王や貴族のような身分の高い人の住まいであったと考えられ「宮殿」と名付けられた。天体観測用と思はれるマヤ建築としては珍しい
四階建の塔が中央に。小川を利用して水洗トイレやサウナなども設置されていたらしい。中庭には歴史を刻んだ壁画、マヤアーチの回廊などがある。



宮殿の中庭

  

小さな川(オトルム川)は水路で護岸は石組みで出来てる     マヤアーチの回廊            宮殿の窓から碑銘の神殿      

  

中庭の浮彫(捕虜 片方の手を反対の肩に当てるポーズは従順の意を示す、ここで捕虜が生贄にされたのか?)     中庭の階段の神聖文字     



葉の十字架の神殿から太陽の神殿(左)、宮殿(中央の塔)、十字の神殿(右)

  

       太陽の神殿                             その内部の壁画   

  

 葉の十字架の神殿                           髑髏の神殿(中央の柱の根元に髑髏の彫刻)         


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 、アラカル


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