昌徳宮(チャンドックン)・秘苑(ビウォン)

昌徳宮は、1405年に建てられた朝鮮王朝の離宮。壬申の乱(文禄・慶長の役)で焼失、敦化門のみ残され、1611年に再建された。1910年の日韓併合まで王宮として使われていた韓国でも有数の名園として知られる秘苑(ビウォン)は、朝鮮王朝時代の造庭芸術美として有名だ。韓国語、英語、日本語の専任ガイドにわかれて入場人数制限があり、我々は日本語のガイドさんがガイドする時間に1番に入場するため6時40分から1時間ほど待って入場しました。



敦化門(トンファムン)は昌徳宮の正門として1412年に初めて建てられた。今の敦化門は1609年に再建された。宮殿の正門としては最古。朝鮮時代には2階の望楼に鐘と太鼓があり、時間を知らせていたというが今は残っていない。

 

敦化門を通り昌徳宮に入る                                     日本語の専任ガイド



入場すると、右側に太宗11(1411)年に造成されソウルに残っている最古の石橋、錦川橋(クムチョンギョ)を渡ったところに進善門がある、流れていた川は今はない。



進善門をくぐると正面に粛章門、左手に仁政門





左の仁政門(インジョンムン)をくぐると昌徳宮の正殿である仁政殿があります。



仁政殿(インジョンジョン)は昌徳宮の中では最も規模が大きく、内部装飾にもその貫禄が感じられる。



仁政殿の棟瓦は、他の宮殿とは異なり花模様の装飾があります。これは日本が朝鮮王室を一家門に格を下げるために付けたものだと言われています。

  

仁政殿は王の即位式、臣下の朝礼、外国使臣の接見など、国の重要行事が行なわれた場所である。前庭には位階による席順を示すと思はれる石碑が並ぶ
階段の中央には王家の紋章と思はれる彫刻、中には玉座



仁政殿のすぐ右手の入り口をぬけると左手に宣政門(ソンジョンジョン)、左前方に煕政堂(ヒジョンダン)



唯一青い瓦の建物である宣政殿は王の公式の執務所。学者や官僚が儒教の経典や歴史を勉強、儒生たちの試験、宴会等を行なったりしたる宮殿。

 

煕政堂は王の寝殿だったが後に御前会議室とし使用。1917年の大火災で焼失、1920年に景福宮の康寧殿(カンニョンジョン)を移築、内部の応接室には西洋式の家具が

 

煕政堂の奥にある大造殿(テジョジョン)は王と王妃の寝殿。1917年の火災で1920年に景福宮(交泰殿)を移築。ここで最後の王である純宗が崩御した。



楽善斎(ナクソンジェ)18477年に後宮として建てられ王の死後、王の妾(めかけ)や女官などが残りの人生を送っていたという。



楽善斎(ナクソンジェ)の内部。日本の梨本宮家から最後の皇太子である李垠(イウン)に嫁いだ方子(まさこ)が晩年を過ごした場所。

 

昌徳宮の塀に沿った両側は緑のもみじ林の小道が後苑(フウォン)(秘苑)へ                   芙蓉池の中に、空を象徴する丸い島      



芙蓉池を中に手前に芙蓉亭、右に四井記碑閣、中央上段に宙合楼(チュハムヌ)、右に暎花堂(ヨンファダン)



宙合楼 1776年建立の2階建ての楼閣。1階は宮中図書館である奎章閣の書庫、2階は閲覧室。  暎花堂 王族の休息所で前の広場で科挙の試験が行なわれた。

  

芙蓉池から愛蓮池の途中の王子が利用する門「金馬門」から近道で敦化門の方に引き返しまし愛蓮池から奥の方は案内してくれなかった。

 

途中、珍しいナンジャモンジャの大木があり沢山の観光客が何の木だろう?と言合っていましたので私の庭にあり教えましたが半信半疑の様子でした。

 

約1時間20分ほどの見学で近道はかなりの坂道を20分ほどかかりましたので結構くたびれました。愛蓮池から奥の方を全部見学するのは倍の時間が必要らしい。

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