イラン旅行記

母が骨折入院のアクシデントで当分旅行を諦めねばならないと思っていました。しかし回復が順調で何とか10日程度ならと母も了解してくれて、妻にも留守を頼み込みインド旅行を予約しました。しかし申込のインド旅行の催行が成立せず折角周囲の了解を取り付けたので別の旅行社のイラン旅行の催行が確定に近かったのでそちらに変更しましたイランはもともと訪問したかったがなんとなく物騒な感じで機会がなっかたのですが、核開発の件でアメリカとの関係が将来の方がもっと難しくなりそうなので今回思い切って決心しました


 3月23日成田発ですが時間的に無理がありもし国内便の欠航などに備えて22日前泊しました

◎ 3月23日 イラン航空801便で北京経由テヘランへ12時間のフライト、しかしイラン歴の正月ノールーズ期間で機内は空いていましたのでゆっくり休め、テヘランに24日午前1時到着

◎ 3月24日 早朝5時起きでエルボズル山脈をバックのテヘランからマシャドへフライト、10時到着、マシャド市内観光、金箔のドームと尖塔の綺麗なイマーム・レザー霊廟を観光、しかし数年前までは異教徒は入場禁止の霊域でセキュリティーも厳しくカメラも持ち込み禁止イラン歴では年末年始のノールーズ期間3月20日から4月3日まで役所、学校、企業ともに15日間の長期休暇、巡礼地は満杯、普段なら霊廟の近くまでバスで行けるのが交通規制で途中下車、30分ほど徒歩で霊廟へ、霊廟の写真は遠くからズームで撮影するしかなかった。市内は巡礼の市民で大混雑、ホテルも満杯で公園や道路にテントで家族と寝泊り、遊牧の民の末裔のせいかテントでの生活に抵抗感はないようでした。行列の出来る人気のレストランケバブの昼食、後バザールを散策、イランを代表する偉大な詩人フェルドゥスイーの霊廟を観光、マシャド泊り

◎ 3月25日 マシャドからテヘランへ、空港の近くのテヘランのシンボルのアサディー・タワーがエルボラズ山脈の雪山をバックに映えていました。サーダーバード宮殿から歴代シャーのコレクションが展示されている宝石博物館を観光、時間の余裕があったのでイラン考古博物館 を観光、その後バザールを見学、正月でほとんどの商店がクローズで閑散 テヘラン泊まり

◎ 
3月26日 ホテルのすぐ側の絨毯博物館を観光、庭でグレーと黒の斑模様のカラスが群れていました。郊外のレイとコム、レイのホメイニ廟を観光、コムの8代イマームの妹ファティマ廟(異教徒は入場出来ないので外からの写真撮影)を見て、カシャーンへ、テペ・シャルク(テペ・シアク)(先史時代の遺跡)の観光カシャーン泊まり

◎ 3月27日 カシャン市内観光、とフイン水源地の王の庭園を観光後、今問題となっている核関連施設の付近を通って(バスの車窓から高射機関砲の座った監視所の連なるフェンスしか見えませんでしたが現地ガイドからバスの車内でもカメラをカバンから出さないようにと注意されながら)砂漠のような地形の中を谷の斜面の家々の景観が素晴らしいアブヤーネ村へ、愛らしいバラ模様のスカーフが魅力的な女性達を観察した後エスファハンへ、ハージュ橋、33アーチ橋を観光しながらホテルへ、エスファハン泊まり

◎ 3月28日 エスファハンの観光、金曜日のモスク、ヴァーンク教会四十柱宮殿サファビ朝の首都として「世界の半分」と呼ばれたイマーム広場、でイマーム・モスク、アリカプ宮殿、シャイフ・ロトフォラー・モスク、カイザリエバザールを観光、夕食はアーブ・グシュート(壷の中で煮込んだ名物料理)を楽しみ、昼間観光したイマーム広場や橋の綺麗な夜景を堪能、エスファハン泊まり

◎ 3月29日 預言者ムハンマドの命日でイランの祝日、お国柄閉館している施設も多く鳩の塔の観光して移動途中の街ナインでムハンマドの追悼集会でのアシュラの儀式を車窓より眺めゾロアスター教の聖地ヤズドへ、途中キャラバンサライ(隊商宿)、カナート(水路)、を見学しながら17時ヤズドへ到着、ゾロアスター教の風葬の為の「沈黙の塔」拝火神殿を観光、ヤズド泊まり

◎ 3月30日 
ヤズド市内観光、金曜日のモスク、祭りの広場テキーヤを観光後、今日は8代目のイマームの命日なのでその追悼祭りの行列に出会い車窓観光、ザクロス山脈の裾をバスにて移動する為途中に鷲の形の山や2700mを超える峠を越えての道中、突然の雪に遭遇しながらアケメネス朝の最初の都パサルガダエ のキュロス二世宮殿や王墓を観光、古代文明の栄えたファロス地方の首都シラーズへ19時ごろ到着、泊り

◎ 3月31日 シラーズ市内観光、ハムゼ廟、バラで有名なエムラガーデェン、ピンクのタイルを多用しているのでローズ・モスクと呼ばれるナシル・アル・モスク、デル・ゴシャ公園、詩人を祭るハーフェズ廟、サーディー廟、からナーレンゼスターン(オレンジ庭園)、タイル装飾が美しいマスジュデ・ヴァキール、ヴァキール・バザールを見学、シラーズ泊まり

◎ 4月1日 シラーズ近郊の古代遺跡の観光、途中の車窓に遊牧の羊の群れを散見、念願のペルセポリスです。ダリウス1世によって建設された古代ペルシャの壮大な都の遺跡、アレキサンダー大王によって破壊された王宮遺跡を観光後、岸壁彫刻で有名なナクシュ・ラジャブを見て、ナクシュ・ロスタムのアケメネス朝の4代の王墓やゾロアスター教の拝火神殿を観光、シラーズに引き返し、コーランの門を散策の後、マスジュデ・ヴァキールの隣のハマ-ム(公衆浴場)を改造したレストランで夕食、シラーズ泊まり

◎ 4月2日 午前中自由行動、早朝ホテルから1時間ほどキャディムハーン城砦まで一人で散策、サンド朝の創始者の城砦で18世紀に建てられたものですがヨーロッパにあれば世界遺産にもなりそうな遺跡がイランではこの旅行の観光拠点にもなってなく案内してもらえなかったが空港への途中時間があり写真ストップしました。午後の便でテヘランへ、19:55イラン航空800便でソウル経由成田へ

◎ 4月3日 12:00成田空港到着 イラン旅行を終了

イラン又はペルシャという呼び方は同じ国を指す。アーリア人が、アジアの原住地よりカスピ海南部の高原に移住した、この部族がイラン人だった。パールス(ギリシャ語でペルシャ)という名の一部族がイラン高原地域に定住し、ペルシャと呼ばれるようになった。今回の旅行は初めて宗教が強制的に日常生活に浸透させられた世界の体験でした。法律上で男女平等であり、男性も女性も同じよう教育を受けたり、好きな仕事をすること等が基本的に認められているらしい。例えば、大学生の半分以上は女性だそうだ。職場で同じ仕事をすれば男女とも同じ給料をもらえる。しかし女性は外出時にはチャドルを頭から被り髪や体形を他人に見せない服装をしなければならない。これは「へジャブ」というイスラム教の教えのもとで決められたもので観光客の異教徒であっても例外ではない。チャドルの色は革命直後は黒一色だったらしいが今では規制が弱くなり色違いのチャドルも沢山見かけた。黒いのも刺繍をしていたり、宝石で飾っていたりと女性らしいおしゃれをしている。現代の欧米型市民社会の人権感覚では信じられないような男女不平等が公然と認められている。しかしイランではサウジ・アラビアやアフガニスタン等の他のアラブ諸国と違って(行ってないので報道でそのように思っているのだが)女性の社会的な地位が低いことを現しているわけではないらしい、女性は保護されるべきものであり男性の保護の下に置かれるという男性中心の社会の発想であるが同時に女性保護の社会でもある。欧米社会では女性は、体を露出することで自分をアピールしようするが、イラン(イスラム圏)の女性は体を隠すことでより良く自分の魅力を高める結果になっている。チャドルで覆うことでその中はみすぼらしい服でも高級な服でも外からはわからない。貧富の差を隠す効用があるようです。そのせいか女性達は美人が多く、明るく気軽に話しかけてくる。それに子供が多く可愛いのにも驚いた。何より驚いたのは対日感情の良いこと、私たちが日本人観光客だと判るらしく向こうから握手を求め、片言の日本語や英語で話しかけられ大勢に取り囲まれて写真のモデルにされたことでした。私はアメリカの「テロの国」「テロ支援国家」といった宣伝で「危険な国」とか「イスラム原理主義の国」というイメージ持っていたのは事実ですし、イラク関係の報道でイスラム教シーア派の印象は狂信的なイスラム教宗派だと勘違いしていました。 ところがアラビアの砂漠と違い高原の国ペルシャではゾロアスター教の影響やアラブに対するペルシャ人の抵抗等により変質したイスラム教の宗派であることを初めて理解できました。イスラムの教義は偶像崇拝を否定のはずが、街中いたるところホメイニ師やラフサンジャニ大統領、ハタミ大統領等の写真が飾られシーア派の聖人フセインの肖像も沢山あり現在の政治体制を視覚面から強制していると感じました。しかしアハマディネジャド現大統領の肖像は見かけなかったのはまだ彼の権威が確立されていないのか? 現地ガイドは博学で日本語も日本人並みに堪能でしたので色々と話が聞けたました。資源は豊富で石油はサウジアラビア、ロシア・クウェートに次ぐ世界第4位、天然ガスの埋蔵量は世界第2位にランクされているし、砂漠地帯にありながら北にエルブルズ山脈、南にザクロス山脈の高峰に降る雪が水をもたらし、人口構成も若く、公共施設や公衆便所等は清潔であり、流石はペルシャ!文化の進んでいたお国柄を感じさせられました。イランの経済が良くならないのはアメリカの経済制裁があるからであり、指導者のイスラム原理主義が紛争の引き金にとなる危険性を感じるが宗教的な締め付けはやがては変化し、将来はアメリカとの戦争などがない限り明るいと感じたのは私だけでしょうか。

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