ペルセポリス

ペルセポリスはアケメネス朝ペルシア帝国の都。ダレイオス1世がもともと儀式用に建設した宮殿群であった。イランのファールス地方(当時はパールサ地方)にあり、ペルセポリスの名はギリシャ語で「パールサの都市」を意味する。紀元前331年、マケドニア王国のアレクサンドロス大王がアケメネス朝を滅ぼしたとき火をかけたため、廃墟となった。その後7世紀にアラブの侵入で残った彫刻の顔の部分などを削り取られたりしてさらに荒廃してしまった。



アルタクセルクセス2世の王墓からのペルセポリスの全景のパノラマ。屋根をレバノン杉で葺いていたそうです



ペルセポリスの全景の衛星写真です。



大階段 ペルセポリスは広大な人工基壇の上に築かれました。そのため遺跡の入口は110段の階段を登る。



クセルクセスの門  大階段を登るとペルセポリスのシンボルであるクセルクセスの門が現れます。
まず牝牛像が、そして門をくぐった裏側であの超有名な人面有翼獣神像が迎えてくれるのです


 

              人面有翼獣神像               ホマ鳥(幸福の鳥) 伝説の動物でイラン航空のマスコット



アバダーナ(謁見の間) 右の有蓋の部分が”ペルセポリス観光の白眉”アケメネス朝の朝貢国民のレリ−フのある階段
朝貢国民はエチイオピア人に始まりメディア人まで23ヵ国に及んだ全人種が彫られている

 

朝貢国民のレリ−フの一部

  

約2000個に及ぶレリーフの内一箇所だけ間違い 右端の人物の右手



ダレイオス一世宮殿(鏡の間)

 

ダレイオス一世宮殿の基盤には臣下のレリーフと楔形文字



クセルクセス一世宮殿

 

未完成の門 建設中にアレキサンダー大王に破壊される 馬の彫刻と思われる



百柱の間 百本の柱が立っていたというペルセポリス最大の広間。

 

百柱の間の入口の馬の彫刻の柱 

 

百人のレリーフ 百柱の間南側入口にあるレリーフは百人の人物が彫られています。
一番上の玉座に座る王を全国の属州から集められた臣民たちが担いでいるのを表している

 

ゾロアスター教のシンボル羽根を広げた鳥のレリーフ



山の中腹に築かれたアルタクセルクセス2世の王墓からはペルセポリスの全景が一望できます(百柱の間より)

 

アルタクセルクセス2世の王墓のレリーフ                ダレイオス1世の宝庫のレリーフ       



正面大階段の前から真っ直ぐに王の道が伸びています

    

ペルセポリス遺跡には、博物館には発掘された出土品を展示されているが、主要な出土品はテヘランの考古博物館に展示

 

テヘランの考古博物館の展示品の一例

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