サンチーの仏教建造物群



サンチーの丘の衛星写真
インドで支配的な宗教であった仏教は、インド亜大陸全土に寺院や僧院、ストゥーパを建造した。 その大半は仏教の衰退で崩れ、破壊されてしまいました。しかしここサーンチーではジャングルになっていために、人々から忘れ去られ破壊を免れた紀元前後のストゥーパ群が奇跡のように生きのびて、1818年にイギリスのテイラー将軍によって発見されました。



サンチーの小高い丘の上に、マハー・ストゥーパ (大塔) として知られる第1ストゥーパを中心に、多くのストゥーパや祠堂、僧院等の遺跡がある。約 50の遺構は、古い擁壁によって平らにされた約 380メートルX 200メートルの台地に散在する。インドにおいて仏教が栄えていたほとんどの時代を通じて、一大仏教センターとして機能していたようである



遺跡の中心の最大の規模を誇る 第 1ストゥーパ 。紀元前 3世紀、マウリヤ朝のアショーカ王 (在位前 268頃〜前 232頃 ) の時代に創建された。 当初は、直径が現在の半分程度の大きさで、1世紀後のシュンガ朝の時代にそのレンガ積みストゥーパを石で補強する増築が行われた。 その結果第1ストゥーパは、ドーム状の覆鉢 (ふくはち) の高さが約 16メートル、基壇の直径が約 36メートルという大規模なものとなった。

   

繞道への四方の入口にトラナ (記念門) が立ち、それを彩る彫刻の主なモティーフは、仏伝図、ブッダの前生の説話を描きサーンチーの仏教美術の最高の見どころである。門の形は木造に似せた姿をしていて、これが門というものの原型である。4基のトラナは、1世紀初めのサータヴァーハナ朝時代に南、北、東、西の順で建てられたとみられる。

 

      第 2ストゥーパ                                        第 3ストゥーパ
第 1ストゥーパから西へ 320メートルほど降りた、丘の中腹に第 2ストゥーパがある。 これは紀元前 2世紀末から前 1世紀頃に建設されたもので、 3基のストゥーパの中では一番古い。直径は約 14メートルあり、頂部を平らで、平頭や傘蓋はない。第 3ストゥーパは第 1ストゥーパの北側 すぐ近くに位置し、1世紀に建造された。 規模は基壇の直径が約 15メートルで、第 2ストゥーパとほぼ同じ。第1ストゥーパを小規模したと考えられ、傘蓋の数が 1枚であること以外は、かつては第1ストゥーパと同じであったと思われる。 しかし今では外周の欄楯が失われ、トラナも南側にしかない。



僧院は全部で 7院あったが、西へ一段下がった所にある僧院は、広い中庭を回廊と僧室が囲む典型的なプランをしている。

 

       遺跡の前に現在の仏教寺院が                    麓に小さな博物館、出土品が展示されていましたが撮影禁止。

   

外に展示してあった仏像。アショカ王の獅子の柱頭がありましたが写真はありません。(写真はサルナート出土のものの絵葉書の転載)獅子の柱頭は 第 1ストゥーパの南の入口のトラナの側に建っていたらしい。

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