カジュラホ寺院群


5世紀に中央アジアから進出してきた種族と、西インドの土着の種族が融合して、ラジプート族が形成され西インド各地に沢山王国を建てた。中部インドにまで進出して10世紀に強力な王国を建設したのがチャンデッラ朝である。現代は小さな村にすぎないカジュラホは10世紀〜12世紀にかけてチャンデッラ朝の最盛期の都、85の石造寺院が建立されたが、25の寺院が現存している。 砂岩にみごとな装飾彫刻が刻まれ、寺院の壁面を埋めつくす彫像群は官能的である。無名の石工達が古代インドの性愛書 『カーマスートラ』 の教えを表現したものである。しかしその後この地は忘れ去られ、今世紀に再発見されるまで深い眠りについていた。
私達は黒印の寺院に入場、白丸印の周囲を散策した。西群はヒンドゥー教寺院、東群はジャイナ教寺院を見学

 

西群の奥の寺院は11世紀半ばに建立されたカジュラホで最大のカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院である。 シヴァ神を祭った寺院で、姿はヒマラヤのシヴァ神の棲家とされるカイラス山を形どったものである。砂岩の塔はシカラとよばれ、相似形の小シカラが85も積み重なった形をしていて、天を突くように聳えている。

  

アプサラ(天女)の群像とミトゥナ(一対)と呼ばれる男女の性愛像

 

寺院の外壁にはおびただしい数の男女の彫像や装飾彫刻が並んでいる



寺院の内外の壁面を埋める男神や女神、と抱擁する男女を描いた官能的な彫像。 建築と彫刻の集合体である。

  

古代インドの性愛書 『カーマスートラ』 の教えを描いたエロティックな彫刻が沢山見かけられる。

  

基壇の側面にも壁面よりは多少劣るが矢張り彫刻のオンパレード

 

西群は全てヒンドゥー寺院で多数残り、主要な寺院は塀で囲まれて公園になり、政府考古局の手で管理されている。

 

チャンデッラ朝の紋章である獅子と戦士の像が寺院の側や入口に象徴的に置かれている。

  

後期を除く全ての寺院は同じような彫刻。しかしここは遺跡なので例外、普通公共の場でのこの様なものは禁止されている。ヒンドゥー教ではアルタ(実利)、ダルマ(道徳)、カーマ(性愛)の合一が解脱への道であると説く。

 

ヒンドゥー寺院の奥へ向って塔状部が連なる寺院形は、ポーチ・マンダパ (拝堂)、マハー・マンダパ (大拝堂)、最も高い塔の下にあるガルバグリハ (聖室) から成り、聖室の回りには繞道(右まわりに巡る) があって、周囲には採光のためのバルコニーがある。 これはヒマラヤ山脈の峰の連なりを象徴している。

  

右は後期の寺院で異教徒の破壊を逃れるために3種類の形、イスラムのドーム、仏教のストゥーパ、ヒンドゥー教のシカラで壁面の彫刻はありません。


ジャイナ教のいかなる生き物も殺してはならないとの戒律で修行僧は、空中を飛ぶ虫さえ誤って飲み込まないようにと常にマスクをし、大根や人参のような根菜類は誤って虫を殺す恐れがあることから食べないそうである。

 

東群のジャイナ教のパールシュヴァナータ寺院。第23代ティールタンカラ (ジャイナ教祖師)に献じられ西群よりも早く10世紀半ばに建立された。

  

ジャイナ教の預言者は常に裸の立像である。彫刻のスタイルは、ヒンドゥー教と差はないがエロティックなものはない。

 

シャーンティナータ寺院の側にはマンゴーの大木がありました。

空港のある村      近代の観光旅行の始まりとともに、当局はカジュラホが外貨をもたらす重要性に気づき寺院群の修復を始めた。
カジュラホは、世界で唯一の村の名がついた空港を持っている。


エレファンタ島アジャンタエローラサンチーアグラ城タージ・マハルファーテブル・シクリアンベール城ジャイプールデリーアラカルト


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