ファティプル・シークリー


ムガール帝国の第 3代皇帝アクバルは、1573年西インドのグジャラート地方に遠征して勝利をおさめ、領土を拡大した。1571年から1585年にかけて新首都を建設中だったが、 凱旋した皇帝はこの勝利を記念して、新都をファテプル・シークリー (勝利の都シークリー) と名づけアグラからその宮廷を移した。 しかし戦いに忙しかった皇帝は、突然、新都に背を向けると再び戻ることがなかった。 その後、宮廷地区が放棄されると、住民は壁を取り崩してその石材を売って生計の資とした。しかし大モスクや聖者廟はその後も参詣者が絶えることなく、高台にはドームやパビリオンが今でも綺麗な姿で残っている。



都はきわめて大きな構想の都市であった。 市壁の長さは 11.2キロメートルにおよび、諸方に門があったが、メインとなるのは東のアグラ門である。 当時の市街は残っていないが、中心を占める丘の上にモスクと宮廷が、戦乱にもあわず残されている。

 

ここが突然放棄された理由については、まだ定説がない。 水不足との説もあるが確かではない。今日では干あがっているが都市の西側には三方を厚い壁で囲まれた人造湖があった。 丘の麓に塔、後方に聖職者の廟がある。



新都の建設はスーフィー (イスラムの神秘主義者) の長老のサリーム・チシュティーの予言によって始まったとされている。アクバル帝は幼児を亡くして世継ぎに恵まれずにいたところ、彼はシークリーの丘でなら子宝に恵まれるだろうと助言した。 翌年の 8月30日に嫡子、サリーム (将来のジャハーンギル帝) が健やかに生まれると、アクバル帝は早速この地に宮殿の建設を命じ、おかげで過密となったアグラの町からも、夏の猛暑からも逃れることができたのである。

 

ムガルはイスラーム王朝でありながら、ヒンドゥー世界の建築の要素を積極的に取り入れている。これは、皇帝アクバルがインドのすべての異教の王朝を収めるために、宗教の垣根を越えた政策をとろうとした意識のあらわれではないかと考えられている。事実、アクバルは異教徒に対する租税を撤廃したり、異教徒の側室をもつなどしている。



宮廷地区で目を引く建物は、5層のパンチ・マハル (五層閣) 。 頂部にドーム屋根のチャトリが載る 5層のパビリオンで壁がなく、アーチも用いず、まるで木造のように柱と梁、腕木 と方杖 、それに大きく突き出た板庇 で構成した独創的な建物である。建物は赤砂岩で造られているが、用途がわからない。

 

側室のための後宮ではないかと言われる建造物。 建造物はほかのどのムガール建築と比べても突出した奇抜さを感じさせる。

 

謁見室と思はれるる建物の内部はユニークにデザイン。四方7mほどの部屋の中央に無数の飾りの太い柱があり、その上に対角に通路が渡されている。


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