エレファンタ島の石窟寺院

エレファンタ島の石窟寺院には碑文が残されていないので、開窟された時代の特定はむずかしいらしい。6世紀のヴァーカータカ朝から、
北のカラチュリ朝、南のチャルキヤ朝の時代と考えられるが、いずれにしても 6世紀から8世紀まで幅広く造寺活動を行ったらしいので、
石窟寺院も 6世紀、7世紀、8世紀の諸説が入り乱れ定説はない。1534年にこの島を訪れたポルトガル人は大きな黒い象の彫刻を見つけ、
この島をエレファンタ島と名づけた。後イギリス人は1864年に象を解体して海路イギリスへ運ぼうした。 しかしムンバイまで運んだところで
計画は頓挫し、1912年元の姿修復されムンバイのヴィクトリア・ガーデンの博物館の庭に置かれているらしい。 周囲わずか 7キロメートルの
小さな島であるエレファンタ島にはヒンドゥー教の石窟寺院が7箇所あるが我々は時間の関係で代表的な第 1窟を見学した。

  

インド門付近とムンバイとエレファンタ島の衛星写真です。我々はインド門の側から船で渡りました。連絡船で約 1時間が普通ですが濃い霧に見舞われ
2時間かかりました。船長は15年やっているが初めての経験だと話していました。近くの島々には化学工場などがあり、原料や石油のパイプラインの
バースがあり、現代インドの象徴ともいうべきトロンベイの原子力発電所まであるので、スモッグが多く、大気汚染が進んでいるためだと思いました。

 

エレファンタ島の衛星写真です。



これは船の上からインド門とタージマハルホテルの写真です。

 

濃い霧のために原料や石油のパイプラインのバースを避けるために晴れるのを待ちました。

 

この島は長い波止場がありました。

 

     船からトロッコ列車に乗り登り口まで。         長い階段を山の中腹まで登ります。(足の悪い人は籠に)



第 1窟の北側正面入り口。これは発掘の時に開けられた入口で正規のものではない。外の柱はコンクリート製である。
一辺約 28メートルの正方形をした列柱ホールで内部の柱は往時のものでここは北壁であったらしい。



東の中庭に面した入り口がある。 これが本来の入口で正面と右手にそれぞれ東院、西院がある。正面の院は見学禁止

  

右手の主堂を見学、柱は北方型の溝付きのクッション型の柱頭で、柱身は上部が円柱、下部が四角柱となっている

  

天井の高さは約 6メートルあり、周囲の壁面には沢山の深彫りのレリーフが。マハーバーラタやラーマーヤナ等の古代インド
の叙事詩の神話的場面が描かれているらしく、現地ガイドは熱心に解説をしていたがとても覚え切れなかった。

  

南奥壁は柱で3面に分割され、中央に巨大な 「三面のシヴァ神」 がある。 東を向いた顔は破壊神 (バイラヴァ) の形相を表し、西を向いた顔は
神妃(ウマー) の歓喜と美を、中央の均整の取れた瞑想的な顔は調和を表しているそうです。西にも開口があり、東入口からみて
最奥にシヴァ神の象徴であるリンガ (男根) を祭った石室がありました。


アジャンタエローラサンチーカジュラホアグラ城タージ・マハルファーテブル・シクリアンベール城ジャイプールデリーアラカルト


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