アジャンタの石窟寺院


1819年にイギリスの一士官ジョン・スミスはハイダラー
バード藩王国のニザームに招かれて参加した虎狩りの
最中に岩の寺院を発見、密集するコウモリを追い払って
自分の名前を柱に書き残したのが現在の第10窟である

 アジャンタの石窟寺院の配置図。

今回我々が入場した石窟は左の黒印の7つの石窟寺院
古代の石窟寺院が最も多くつくられたのは、現在の中部
インドのマハラシュトラ州である。
             

アジャンタの石窟寺院は、マハラシュトラ州の45ヵ所の
石窟の内一番有名な仏教窟。 この地域に仏教が栄えた
のはおもにグプタ朝時代でアジャンタの後期。 しかし前期
の石窟寺院はすでに紀元前2世紀のサータヴァーハナ朝
の時代に始まる。石窟寺院は自然の洞窟に仏教僧が住
みつくことによって、僧院や礼拝堂となり、 人工的に開窟
されるようになった。しかし、2世紀に前期の開窟は終了、
 約 300年後、5世紀に再開され、アジャンタの石窟寺院は
 グプタ朝の支配下で絶頂期を迎える。 仏教も 大乗期を迎え
窟院の内外とも仏像で飾られ、内部には古い窟院にまで
壁画が描かれた。 本尊のブッダの彫刻はヴィハーラ窟にまで置かれ僧院はしだいに仏堂になった。偶像崇拝的な
性格が強まり、ヒンドゥ教的な要素も混入し 仏教の衰退とともに、アジャンタの石窟群は 8世紀には忘れ去られた。



ワーグラー川の流れに沿って長さ 550メートルの半円を描く、高さ 76メートルの長大な断崖に仏教の石窟寺院が並ぶ。仏教石窟にはヴィハーラ窟と
チャイティヤ窟の2種類がある。 ヴィハーラは僧院のことで、平地に木造あるいはレンガ造で建てられていたものを、石窟に置き換えたものである。
中庭の4面を僧室が囲むが、石窟では採光の関係上、1面を外部に開いてベランダとする。中庭も空に開かれいないので、集会ホール的な性格となり
大きなヴィハーラ窟ではこれを列柱で取り巻き、僧室とのあいだに回廊をつくる。チャイティヤは 「聖なるもの」 を表し、紀元前の小乗 仏教の時代には
仏像がつくられなかったので、その代わりにブッダを象徴するものが礼拝された。 これをチャイティヤ窟という。  

 

アジャンターの壁画が大量に残されているのは、第 1、第 2で第 16、第 17窟を含め、すべてヴィハーラ窟である。

 

フラッシュが禁止されていて観光客の照明を頼りに撮影しました。

 

外の光の入るところでは鮮明ですが中は暗く撮影に苦労しました。

 

第2窟でフランスの学生が壁画の修復をしていました。

 

初期の小乗仏教の石窟は仏像はなくストーパだけでした。モデルにしたのは、平地の木造寺院や僧院であった
木造建築を模して柱や梁が彫り出され、軸組み構造のように彫刻されている。

 

石窟の表には沢山の彫刻や壁画

 

第十石窟の内部で、小さな入口は僧侶のベットの部屋の入口。

 

中期の石窟にはストーパと仏像が一緒に、それも立像や腰掛像とユニーク



これは第26石窟の入口です。

 

第26石窟の周囲の回廊の壁にも多数のレリーフがあり、仏陀の涅槃像がありました 


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