アレキサンドリア

アレキサンダー大王は、オリエントの各地に「アレキサンドリア」という都市を沢山建設した。トルコ東部のイスケンデルンはかつての
アレキサンダー大王がイッソス平野でペルシャ軍を破った後に創った街アレクサンドレッタであった。アラビア語でアレキサンダーは
イスカンダルですが、これは最初の「Al」を冠詞と勘違いしたことによるものらしい歴史上、アフガニスタンを征服し民を支配することに
成功した人はアレキサンダー大王しかいないと言われています。、タリバンの本拠地カンダハルはかつてこの地に築いたという
アレキサンドリアのパシトゥン語の地名らしい


グレコローマン博物館

1859年に建設、収蔵品は約4万点、アレキサンドリアの海中やデルタ地帯で発見されたプトレマイオス朝時代の人物の頭部像等を展示る。

 

カイロからの砂漠高速道路とパーキングエリア



グレコローマン博物館の中庭

     

アレキサンダー像 アントニウス像 クレオパトラ像   アウグスッス像  ネロ像   カエサル像

 

ポンペイの柱

ローマ皇帝ディオクレティアヌスによって西暦292年に建てられたアレキサンドリアの守護神のセラピス寺院の約400本のうちの
1本の柱 コリント式の柱(高さ30m 周囲8m)で1個の赤色花崗岩で出来てをりアスワンから運ばれたものらしい
後世ポンペイウスの寺院だとの勘違いから名前がついたそうです 

 

カイトベイの要塞



昔島だったファロス島の東端に灯台があり高さ135m、50km先から光が見え世界の7不思議の1つだったそうだ灯台はプトレマイオス朝
からローマ帝国、イスラム王朝まで受け継がれ、西暦796年の地震で一部損壊し1375年の大地震によってついに全壊 1477年マムルーク朝の
スルタン、カイト・ベイがその石材を再利用し要塞を造営しました 

 

 

窓から地中海とアレキサンドリアの市街が眺められた

  

地中海から、強い風が吹いていた  イギリスの植民地時代の名残か?色々な電車が走っていた

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