澤当(ツエタン)

ツエタンとはチベット語で、猿が遊ぶ所という意味。昔、普陀山の観音菩薩の弟子の神猿が、観音菩薩からチベット高原での修行を命令された。修行をしていると魔女に出会い無理な結婚を要求され、それを断ったところ、「わたしと結婚しないと、貴方は魔鬼と結婚することになる。すると、沢山の魔鬼の子孫が生まれ、この高原は魔鬼の世界になり、一般衆生が将来苦るしむことになる」。それを聞いた神猿は観音菩薩に報告、魔女と結婚をして6人の子猿をもうけました。その後6人から500人にもなり、果物だけではもう生活できなくなったので、神猿は観音菩薩から麦など種を貰い、それを沢山植えました。猿たちは食べ物が豊かになり、尻尾がなくなり、話もできるようになり、やがてチベット族の祖先になったとの伝説があります。猿起源説は民間で広く伝えられ、昔のダライ・ラマもその説を採用している。今でも、ダライ・ラマの夏の宮殿・ノルブリンカと冬の宮殿・ポタラ宮には全部この物語の壁画が残っている。このような沢山の神話に包まれたツエタンは悠久の歴史と貴重なチベット文化の名所です。 海抜3560m、総面積3平方キロ、総人口3万、町周辺は平野があり、土地が肥沃、気候が暖かく、農業灌漑用水も豊富で、昔からチベットの食糧倉庫として栄えました。年間の平均気温は5〜8度前後で、年間降雨量は600ミリ程度で夏は短く、猛暑がないし、冬は長くても、厳冬でもなく平均気温は2度〜12度程度らしい。



最近はヤルツァンポ河畔の砂漠化が進み政府上げての緑化運動が進んでいる。




ミンドゥリン寺




ニンマ派の総本山。ダライ・ラマ5世の師、同派の仏教聖典を集大成した高僧テルダク・リンパが建立した。ミンドゥリンとは「完全な解脱の場」の意。
かつて壮大な中庭の回りに5重塔を含む、多くの僧堂伽藍を擁していた。天文暦や医学の研究に力を入れていて、高僧はポタラ宮へ教師として派遣されて
チベット暦の研究や、「チベット年表」の編纂を担っている。

 

1670年に建立され面積は約10万u。文化大革命で、大きな被害を被り、かろうじて2つの仏殿が残されました。

 

凶悪な風貌の仏像はチベット仏教では悪魔から寺院を守る「護法神」と呼ばれるものでチベット密教芸術の特徴である。

 

300人以上の僧が起居をともにしていいましたが、現在は数十人らしい。
ニンマ派の僧は結婚や子供を持つことを許されていて、住職の地位は子供または婿に継承される。

 

寺の周囲には集落がありロバが勝手に農作物を運んでいました。裏山にはタルチョが並んでいました。



サムイエ寺へ向かう途中の峠のタルチョとヤルツァンポ河の展望


サムイエ寺



779年に仏教を国教としたティソン・デツェンにより建造された「仏殿・経典・僧侶」を揃えたニンマ派の寺院。当初、反仏教勢力のポン教の執拗な呪術による妨害で、
工事が進展しない事態が続いていました。そこで、印度から大行者のパドマサンババ(グルリンポチェ)を招いて、悪魔祓いを行い、無事落慶できたという。
パドマサンババはニンマ派の開祖となった。

 

四方に黒、赤、緑、白の仏塔が配置されてをり、須弥山を中心とした仏教の宇宙観(曼荼羅)に従って構成されている。

 

近くの岩山の上からは、寺院全体が須弥山に当たる大本堂を中心に、立体的な曼
荼羅構造をしていることが判るらしい。


タントク寺



タントク寺は紀元7世紀に大昭寺とほぼ同時に建立されたチベット最古の仏教寺院の一つ。大昭寺とタントク寺は当時のチベットの魔女を鎮めるために
築かれたといわれます。大昭寺は魔女の心臓部に、タントク寺は魔女の上肢部に建造された。

 

本殿、マニ車壁、庭の三つの部分からなっていますが、保存状態はあまり良くない。

 

三世仏像等のほかに真珠タンカは全部で29026個の真珠や宝石を使ったできたもので、600年間、色が全然落ちていない。

 

宗教劇の仮面や壁画も保存されています。


ヨンブ・ラカン



ヨンブ・ラカンとはチベット語で、雌鹿の後足に建立された宮殿の意味です。ツエタンから約8キロ離れています。紀元前1世紀頃築かれたそうですが、
現存の建物は1982年修繕後のものです。3階建ての建物で、1階の本堂には三世仏、ソンツェン・ガムポ王、ティソン・デツェン王と文成公主、ティツン公主
などの造像を祭っていますが、2階には主に宗教人物のツンカバー、パドマサンババ、文殊菩薩などを祭っています。それに宮殿立てられた山の北東部に
泉があり、年中水量が豊富で水が万病に効くそうで、ヨンブラカンと一緒に現地チベット族の礼拝対象になっています。




ヨンブ・ラカンからの展望


蔵王墓

 

7世紀〜9世紀の間にツエタン付近を支配した歴代チベット王の墓地チョンゲェ。町の中心から30Km程離れている。墓は21箇所あったそうですが、
発見されたのが16箇所。谷の中心部のがソンツェン・ガムポの墓で13mもあるそうです。




ソンツエン・ガムポの墓の上にお寺があり、中にソンツェン・ガムポ、文成公主とテイツン公主などの像が祭られています。

 

ソンツエン・ガムポの墓の上からの展望           隣に8世紀のチベット王・ティソン・デツインの墓があり、高さ7m、山の麓に二箇所
                                     墓が見える。発掘はまだされていませんが1961年に国家重要文化財に指定された。

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