拉薩(ラサ)


ラサはチベットの政治的文化的中枢都市。チベット、モンゴル
満州などの諸民族から構成されるチベット仏教文化圏の
中枢都市でもあった。現在は、中華人民共和国の西蔵自治
区の区都「ラサ市」となり、漢族の数が増加している。
チベット語「lha」は神仏を、「sa」は土地を意味し、すなわち
「神の地」、「仏の地」を意味する。ラサの建都伝説では古くは
「ra sa」(ra=ヤギの地)とも書かれ池を埋め立てる石を
運ぶのにヤギを用いたのでこの名があるともいはれる。



拉薩近郊の衛星写真



拉薩コンガ空港

 

小さな集落があり、お店とレストランが並んでいる拉薩の玄関口

 

 

レストランでは其の場で料理をして出してくれる。

 

空港からラサ市内にはトンネル(ガラ山トンネル)を通り高速道路が開通してる。

 

途中の極彩色の磨崖仏(チベットでは至る所に彫られているらしい)



ラサ河に沿って走り市内に入る。

 

市内の看板や道路標識は漢字、人口の大部分を占めるチベット文字は小さく併記されているだけ、漢族化が目立つ。


ガンデン寺(甘丹寺)

ゲルク派(黄教)の総本山。「ガンデン」は兜率天(弥勒菩薩の修行する浄土)の意味。清の世宗からは永寿寺を賜った。
ゲルク派三大寺院のうちラサから最も離れています。



ゲルク派の創始者ツォンカパが1409年に建立、政治的権力を持った。そしてツォンカパの法座を継承する
歴代のゲルク派教主、ガンデン・ティパはチベット仏教では、ダライ・ラマ、パンチェン・ラマに次ぐ権力をもつ。

 

ラサから47km離れたラサ川南岸標高3800mのワンブル(旺波日)山に位置する。       ラサ河の展望

 

埃の難路を山頂まで登る。水は人力で担ぎ上げる。最盛期には7000人の僧侶が修行していたが現在は数百人。

 

文化大革命の際、1959年以降のチベット動乱の際ダライ・ラマ側の拠点となったため徹底的に破壊され廃墟となった。

  

1981年から修復工事が開始されたが、まだ少し修復されているに過ぎない。壁画が新しい


ポタラ宮(布達拉宮)

ポタラ宮は1642年、チベット政府「ガンデンポタン」の成立後、その本拠地としてチベットの中心地ラサのマルポリの丘の上に十数年をかけ建設された宮殿。標高3,700mに位置、7世紀半ばにチベットを統一した吐蕃王朝第33代のソンツェン・ガムポがマルポリの丘に築いた宮殿の遺跡を増補、拡充して建設された。



ポタン・マルボ(赤宮⇒政治的な業務を行う)、ポタン・カルボ(白宮⇒宗教儀式を行う)等様々な建物から形成されている。




ポタン・マルボ前よりラサ市街地を望む。

 

        大昭寺からのポタラ宮の遠望                           ポタン・カルボ


セラ寺(色拉寺)



セラ寺は山の斜面に張り付いていて門前は人家が込み合い木々が茂り全体の写真が撮れない。
上の写真は帰りの早朝の薄明かりの拉薩駅の前から手持で10倍ズームで撮影したのでピンぼけです。

 

セラ寺はゲルク派三大寺院の1つ。1419年にゲルク派の創始者ツォンカパの弟子シャーキャイエシェーによって創建された。



セラ寺副殿 チベットが鎖国しているときに潜入した河口慧海や多田等観がここで学んでいる。セラには雹とバラの2つの意味があり、工事中に雹が振って来たからセラと名づけたという説と、野生のバラが咲いていたからセラと名づけたという説がある

 

山腹の修行場と副殿の法輪(教えを広める車輪の形で具現化され、寺院の軒飾りにも使用された)

 

各所の岩に極彩色の仏像が描かれている。




ノルブリン

「ノルブリンカ」は宝(ノルブ)の庭(リンカ)という意味である。歴代のダライ・ラマの離宮とその庭園がある。

 

2001年にはポタラ宮の歴史的遺跡群として世界遺産に。敷地全体が現在では公園で、ラサの人々の憩いの場になっている。



ダライ・ラマ7世によって1755年より建設され、1950年代に中華人民共和国に接収されるまで夏期の離宮として機能した。

 

ラサ中心地にあるポタラ宮から西へ約3キロ。総面積約36万平米。



ダライ・ラマ14世の住居として1954年に建てられた「タクテン・ポタン」は二階建ての豪奢な建物で、当時の家具やラジオ、レコードプレーヤーなどが残されている。 1959年3月に人民解放軍がラサに入った際、ダライ・ラマ14世が密かに難を逃れ脱出の舞台になった王宮がここである。他に13世の離宮、8世の離宮など歴代ダライ・ラマが造営した。


デプン寺(哲蚌寺)

チベット最大の寺で、最盛期には世界中のどの宗教の寺院・僧院よりも大きかった。



1416年にゲルク派の開祖ツォンカパの孫弟子ケンチェン・レクデンパが開基、スーナム・ギャツォが1578年にダライラマの称号
をモンゴルの首長アルタン・ハーンから受け17世紀にダライラマ5世がポタラ宮へ居を移すまで居住していた寺であった。
中国の侵攻や文化大革命で破壊され、僧侶は多数殺害、拘束、追放された、ほとんどは南インドへ亡命して活動している。

  

          門前には敬虔な信者の子供や五体投地をする人の姿が見かけられた。                         水流で回るマニ車



一部が修復されと宗教活動を再開しているが、中国政府の弾圧により、かつての様な修行の場は取り戻せていない。

 

現在この寺の僧は数百人に満たない。そのためほとんど巡礼地や観光地としての役割しか果たしていない。



ラサの西郊のガンポ・ウツェ山の下に位置するためにラサ市内が一望される。


トゥルナン寺(ジョカン寺、大昭寺)

チベットを統一した吐蕃王朝第33代のソンツェン・ガンポ王に中国より嫁いできた文成公主により、7世紀に建立された。



世界遺産、ポタラ宮の歴史的遺跡群。内部には多くのマニ車を備えた回廊があり、コルラ(山の周りを巡礼)することが出来る。



正門前では、五体投地で祈る熱心なチベット仏教徒を多く見ることができる。

 

本尊は、ソンツェン・ガンポに嫁した唐の玄宗皇帝の娘、文成公主 が中国から持参したとされる釈迦牟尼像である。

 

寺を囲んでバルコル(八角街とは巡礼環状路を意味)があり五体投地でコルラする信者も見かけました。

 

五体投地でコルラする人に喜捨したり、手持ちのマニ車を回しながらコルラしている人も多数いました。

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