タラス

751年、東から勢力を伸ばした唐は、中心をスイアブ城に置いていた将軍高仙芝と、西から勢力を伸ばしてきたアッバース朝軍のコラーサーン提督とタラス河畔で
天下分け目の戦いをくり広げた。総勢10万人にも及ぶ戦いはわずか5日間で唐軍の敗退で唐の西方における勢力は後退。以降イスラムの勢力が東に及びその時
連行された捕虜の中に紙漉職人がいたため、製紙技術が西へ伝播した。



左岸にイスラム軍、右岸に唐と突厥の連合軍が対峙した。

  
     左岸のイスラム軍の側に立つ建物                                    

    

岸辺には野草の花が咲いていました。

  

カラハーン廟 10〜12世紀、カラハーン朝は最盛期、君主の廟、

  

埋葬者は不明、「聖なる人}アオリエ・アタと抽象的に呼ばれている。

  

ダウト・べク廟 13世紀に建てられたものでモンゴルの支配者、1262年に市民に暗殺された。        アイシャ・ビビ廟    

  

80種類ものデザインがあるレンガで積み上げられたアイシャ・ビビ廟には、カラハーン朝時代の純愛・悲話伝説がある。ヘリコプター墜落事故により破損した。

    

ババジ・カトゥン廟 アイシャ・ビビ廟のすぐ横にアイシャ・ビビの乳母の廟  廟の中で祈る聖職者       密輸取締りの為のチェックポイントの道路標識       
                                                             

  

           路上の蜂蜜売り       

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