アルマトイ

アルマトイ市は人口約120万人(2001年)でカザフスタン共和国(面積日本の約7倍)人口約1,490万人(日本の約1/8)の南東部にある
同国最大の都市。日本の札幌とほぼ同緯度である。アルマトイ市は天山の支脈アラタウ山脈の標高約
800メートルの位置にあり、山脈の
雪解け水が大アルマティ川となって市内を流れる。南東にコクトベ山(カザフ語で「緑の丘」、海抜
1,130m)がある。アルマトイは北
から南へ向かってなだらかな上り坂で、街の通りは碁盤の目のように整然と区画されている。
サカ族(紀元前3世紀頃)やチュルク系民族
が集落を築き東西の通商拠点であったが、街として開発されたのは
1854年にロシア帝国が中央アジア征服のための要塞をこの地に建設
したことに始まる。アルマアタ(林檎の里)の集落は、ヴェルノエ(忠実、ロシア語)と改名され
1867年にはヴェルヌィ市となる。 
ロシア革命後、1920年キルギス自治共和国に編入された。カザフ自治共和国ができ1925年に首都はクズル・オルダから1929年に現在の
アルマトイに遷都した。カザフ自治共和国は
193612月にカザフ・ソビエト自治共和国になり、1930年トルキスタン・シベリア鉄道の
開業で開発が始まり第二次世界大戦によってヨーロッパ部から大量の避難民、疎開者がきたことで人口も増加街も発展を続けた。
ペレストロイカ路線が始まった198612月「ソ連初の民族暴動」である「アルマアタ事件」が発生。カザフ人書記長を罷免し、ロシア人
書記長任命の人事をきっかけに民族的暴動となった。共和国広場で死者数名、負傷者数百名を出した。
199112月のソ連崩壊に伴って
同年
1216日に独立、カザフスタン共和国と改称アルマアタも本来のアルマトイにその名を戻した。19971210日、首都は
アルマトイからアスタナ市へと遷都された。




カザフ戦士28名がドイツと戦った記念のパンフィロフ戦士公園の記念像
(40kmに迫ったドイツの戦車
18台を破壊し全員戦死しモスクワを守った、像の形はソ連の地図を現す)

 

 

19956月に再開されたロシア正教会

 

記念の門、ロシアの海軍の施設の移築したカフェなどがある。

 



    中央バザールグリーンバザール)アルマトイで最も大きいバザール   

 

メデオ(スケートリンク) 標高1,700メートルある観光・スポーツ施設 
1961年に開設され「世界記録の工場」といわれた。



カザフスキー・アウル(カザフ村)のヨルタ(天幕)のレストラン
からの眺め  



アラタウ山脈をバックに標高約800メートルにあるアルマトイ

 

中央博物館モスクをモチーフ

先史時代から現代までのカザフ人及びカザフスタンの歴史を展示。紀元前3世紀のサキ族の遺跡で発見された黄金人間は特筆、しかし本物は
モスクワに。有史以前の動植物や猿人に始まり、紀元
7世紀前後の石人や文字10世紀の偉大なイスラム哲学者アルファラビーや13世紀の
モンゴル侵攻など幅広い分野の展示がされている。
写真はワンシャッター毎に金が要るので撮らなかった。



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