プラハ(チェコ)

9世紀にボヘミア王国の首都、その後、神聖ローマ帝国領となる。街は14世紀の神聖ローマ皇帝カール4世(ボヘミア王としてはカレル1世)の治世に大いに栄え、新市街 、カレル橋 、聖ヴィート大聖堂カレル大学などを建設。その頃はローマに次ぎヨーロッパ第二の大都市であった。プラハは1784年に4つの市議会に分かれていた。フラッチャニ(城塞・城塞の北部、西部地区)小地区(下町、城塞の南部地区)元町(旧市街城塞の対岸,東側)新町(新市街、南方および東方地区)が一つの市議会に統合された。さらに1883年にヴィシェフラトを、1850年に有名なユダヤ教徒コミュニティーのヨーゼフ街 の併合した。1918年にオーストリア・ハンガリー帝国が解体、チェコスロヴァキアが成立するとその首都となった。1922年初頭に、37の自治体を合併し人口は67万6千人となった。しかし、1938年ナチスが占領、チェコスロヴァキアは解体され第二次世界大戦中はユダヤ人約5万人が殺害された。第二次世界大戦後は共産主義国チェコスロヴァキアの首都となった。1968年にはプラハの春と呼ばれる改革運動が起こるがワルシャワ条約機構軍の侵攻を受け弾圧され1993年にチェコとスロヴァキアが分離するとチェコの首都となり現在に至っている。市内中心部をヴルタヴァ川が流れる古い町並み建物が数多く残る街。尖塔が多くあることから「百塔の街」とも呼ばれる。ティコ・ブラーエが天体観測を行った天文塔もそのひとつである。市内にはヤン・フスが説教を行ったベツレヘム教会、プラハ大学などがある。2002年にチェコを襲った水害でヴルタヴァ川が氾濫地下鉄が数ヶ月停止するなどの大きな被害を受けた。



プラハ城から旧市街を望む



ヴルタヴァ川からの眺め

 

新市街地区のヴルタヴァ河畔の国民劇場         プラハ城内の聖ビート大聖堂



聖ビート大聖堂





聖ビート大聖堂の表の壁画と内部とステンドグラス  

  

      プラハ城内と黄金の小路(金細工の工房があった)           衛兵

 

ヴルタヴァ川に架かる最古の石橋、カレル橋のたもと 水車がありました



カレル橋。15世紀にカレル4世がゴシック様式で建設。全長約520m幅は10m

 

欄干に30の聖人像が配置されている

  

カレル1世像                旧市街広場の建物               



旧市街広場

 

ティーン聖母教会                 旧市街広場

 

旧市街広場の宗教改革者ヤン・フス像   カレル大学の総長、ローマ教会の堕落を批判、異端として1415年に火あぶりの刑に処された。

 

  アインシュタインの下宿               ウ・フレークのレストラン


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