ブラチスラヴァ(スロバキア)

プラチスラバの衛星写真

ブラチスラヴァはスロバキアの首都。人口43万人を擁するスロバキア最大の都市。ドナウ川に面しオーストリアやハンガリーとも直接国境を接する。ブラチスラバの名称は第一次世界大戦後に使われ始めたものでハンガリー語でポジョニ、ドイツ語でプレスブルク、チェコ語でプレシュプルクといった。紀元前4世紀頃ケルト人が定住して紀元前2世紀にはオッピドゥムの街を建てた。1世紀-5世紀頃ローマ帝国の辺境に位置、ローマ人とゲルマン人が混住していた、6世紀-8世紀にスラブ人やアジア系のアヴァール人が住み始めたが東ローマ軍に大敗(601)さらにカール大帝にも敗れスラブ人やマジャール人に同化した。10世紀スラブ人の建てた国家大モラビア帝国が滅亡第一次大戦後の独立までハンガリー王国の首都となりハンガリー国王の戴冠式も行はれた。1919年に公式都市名がプレシュプルクからブラチスラバとなりチェコスロバキアの領土となる。1945年から24年間再びチェコスロバキア領となるが1993年チェコとスロバキアが分離されスロバキアの首都になった。





プラチスラバ城からの展望   ドナウ川に架かる展望レストランのある橋 対岸は新市街、その向こうは左がハンガリー、右がのオーストリア

  

プラチスラバ城  四角い建物の四隅に塔があるゴシック様式の城 逆さテーブルの外観。塔は17世紀に
オスマン・トルコの侵入に備えて付け加えられた。18世紀にはマリア・テレジアの居城ともなっていた


  

プラチスラバ城の前にドプチェク書記の胸像とモニュメント        旧市街方向(プラチスラバ城から)       

 

         旧市街衛星の写真                         聖マルティン教会       14世紀の建造で 塔の高さ 85m
                                                初代ハンガリー王イシュトハーンの王冠を模した300kgの冠    
                                              1563〜1830、11人のハンガリー国王と8人の王女が戴冠式を挙げた。


  

 ゴシック様式の教会                ミハエル門                                ユダヤ人居住区             

  

         戴冠式の通路                      市庁舎の時計塔(工事中で絵の看板、フラヴネー広場)            

 

      マンホールから人の銅像(遊び心がいっぱい)                              歴史博物館中庭の彫像         

  

     歴史博物館                                                      オペラ座


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