ブダペスト(ハンガリー)


ブダペストの衛星写真

ここには5万年前から人が住んでいたそうです。ブダペストの名前は128年前から、それまではオーブダ、ブダ、ペストの3つの街に分かれていた。ブダの地区には、 豊かな温泉が湧出している洞窟が沢山ある。80ヶ所の源泉から日7千万リットルを12ヶ所の温泉や療養所に供給している。街の歴史は1世紀ローマ帝国がケルト族が住んでいたオーブダにアクインクムの街を建設、4世紀までローマ帝国の州都であった。ドナウ川の対岸にあるペスト地区はコントラ・アクインクム(アクインクムの反対側)と呼ばれていた。10世紀頃にマジャール人が侵入11世紀にハンガリー王国を建国。ペストは13世紀にモンゴル帝国のバトゥの征西軍によって破壊されたがすぐに復旧され、1361年にハンガリー王国の首都となった。16世紀にはオスマン帝国に大半を征服されハンガリー王国は壊滅、16世紀初頭、オスマン帝国の総督の駐留地となった。オーストリア大公のハプスブルク家が18世紀に奪回ハンガリー王国の行政組織が置かれ19世紀にかけて急速に発展、この世紀の間に人口は20倍の6万人に増えた。3つの地区を統合が試みられたがハプスブルク帝国により19世紀に成立したオーストリア・ハンガリー帝国の下でオーストリアから自治を獲得したハンガリー王国によって最終的に実現された。ブダペスト市の総人口は、73万人に増加し20世紀になり、キシュペストは5倍以上になった。第一次世界大戦の敗戦により多くの国民と国土を喪失したが、オーストリアとの分離により主権国家となった。1930年人口が100万を超え、第二次世界大戦中にユダヤ人200,000人がナチスに虐殺され人口は減少、共産主義政権により移住により人口が増加した。




























漁夫の砦からのドナウの展望(手前がブダ地区、対岸がペスト地区)

 

鎖橋セーチェニを渡りブダ地区に                                  橋の上からペスト地区の眺め              

  

漁夫の砦(ギルドの擁壁とイシュトヴァンの騎馬像)戦争に使われたことはないネオ・ゴシック様式の擁壁(見晴らし台)

    

マーチャーシュ教会「聖マリア教会」、別名は「戴冠教会」
イシュトヴァン王が1015年に建設した教会を、1479年、マーチャーシュ王が大々的に後期ゴシック様式で改装

  

  漁夫の砦の門                 橋はで全部で8本あるそうです

  

聖イシュトヴァン大聖堂(ペスト地区)  ネオ・ルネッサンス様式 イシュトヴァン国王の右手のミイラがある

    

         英雄広場の衛星写真      十字架と王冠を掲げる天使ガブリエルの像    マジャールの族長アールバードと6人の部族長の騎馬像

アルパードの先祖はウラル山脈の畔からマジャール人を現在のカルパチア盆地に6人の部族長たちと共に196年に導き、馬術に巧みな
マジャール騎馬軍団はドイツ、イタリア、フランス各地を荒らし回つた。彼の子孫が、後に初代ハンガリー国王となったイシュトヴァンである




英雄広場の列柱には聖イシュトヴァン国王、ベーラ4世、マーチャーシュ1世などハンガリーの英雄14人の像伝説によると、西暦1000年の
クリスマスの日にローマ法王ジルヴェスター二世の前に大天使ガブリエルが現れイシュトヴァンをキリスト教国の王として認知するように告げた



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