チュニジア旅行記


4月2日(月)  午後2時45分大分発のソニック40号にて2時間かけて博多へ、福岡空港から全日空NH428便で伊丹経由、リムジンバスで関空へ、深夜23時40分発のエミレーツ航空EK319便にて、ドバイで成田出発組と合流、EK747便に乗り継ぎ、チュニジアの首都チュニスへ。田舎住まいの悲哀で何と待ち時間を含め約30時間の長旅

4月3日(火)  空港にて現地ガイドのヤヒアさんや、運転手のサミュエルさんの出迎え。各自現地通貨ディナールの両替、
チュニスのメディナの入口フランス門の傍のホテル・チュニジアパレスに到着、一休みして夕方5時半ごろから約1時間のメディナ(旧市街)の散策、私はうっかりして肌着を荷物に入れ忘れ取りあえずメディアの露店でTシャツを二枚買いました。夕食はホテルで、添乗員の酒井さんからカルタゴの歴史などの説明を聞く。

4月4日(水)  朝食を6時半ごろにすませ、ホテルを8時に出発、、途中街中にはアラブの春の発端の地らしく、軍用車両や警察官の姿がちらほら、最初はポエニ人の墓、トフェ(Tophet)を30分ほど観光、次に近くの地中海交易で栄えたフェニキア人のカルタゴの商業港や古代カルタゴ軍港の半分形を残した遺構を見学、追放されたベンアリ大統領の屋敷に隣接するローマ時代の遺跡、アントニヌスの共同浴場を30分ほど散策したあと、カルタゴ遺跡やローマ時代の遺跡の混在するビュルサの丘(Byrsa hill)の頂上へ、カルタゴ博物館とサン・ルイ教会が建ち、ジャスミン、ミモザ、ブーゲンビリアの花が鮮やかに咲き競いたカルタゴの町や古代カルタゴ軍港の半分形を残した遺構を俯瞰し、カルタゴ博物館(Carthage National Museum)を見学、遺跡からの出土品やモザイクがそれぞれの支配時代別に展示されていました。サン・ルイ教会は入場せずに、 カルタゴとチュニス湾を見下ろす断崖の上にあり、地名は聖人であるアブー・サイードに由来する「街並み保存区域」に指定されたチュニジアで最も美しい街 シディ・ブ・サイド(Sidi Bou Said)を地中海の碧、そらの碧、白い壁、チュニジアアン・ブルーのドアや窓枠の青を満喫しながら散策、 途中のレストランで昼食を採り、モザイクタイルのコレクション博物館バルドー博物館(Bardo National Museum)の世界一の見事なモザイックを堪能しました。 夕刻4半ごろから国会議事堂脇の鉄条網が残り、装甲車を見かけながら作夕散策をしたメディナ(旧市街)を再散策、途中スーパーにより各自買い物、私は飼い足りなかった肌着をゲット。夕食はメディナのレストランで。

4月5日(木)  早朝3時半起床、通常だと弁当の朝食のところ、ホテルに頼み込み4時に朝食を済ませ、チュニス空港8時発の国内線チュニスエアーUG002便でスファックス経由して地中海のリゾート地チュニジア南部、ガベス湾内にある北アフリカでもっとも大きな島 ジェルバ島(Djerba)へ約1時間30分の飛行。到着後、3台の4WDに分乗、遠浅の海を埋め立てて造られたらいい堤道を渡り本土へ、ボン岬半島とは様子の異なる乾燥地帯らしく木間の広い広大なオリーブ畑の中を砂漠地帯へ、途中セプカ塩湖のほとりで写真ストップ、塩の結晶やフラミンゴの毛色の原因らしい赤い藻などを観察、サハラの隊商路の中継地として栄へ、今でも市場で賑わうタタウィン(Tataouine)、泥で固められたクサールといわれる倉庫に使用されていた建物群で特徴のスター・ウォーズのロケ地クサール・ハッダダ(Ksar Hedada)や、丘の中腹から上にかけて築かれたベルベル人の集落 一部に生活している人がいるので遺跡ではありませんが廃墟となった家が多く、頂上には青空に映える白いモスクが印象的なシエニニ(Chenini)などを見学しながら サハラ砂漠の入口にある、砂漠のオアシス クサール・ギレン(Ksar Ghilane)に夕方5時20分ごろに到着、ツーリストテント・ホテルの部屋割がすむと早速ナツメヤシ茂る貴重な水資源オアシスの周辺を散策、温泉が湧く池の周囲に数件のカフェがあり、池では観光客が泳いでいました。観光客相手の駱駝や砂漠の民トゥアレグ族(ブルーピープルとも呼ばれる)の扮装をした騎馬の若者などを見ました。チュニジア国内で最も素晴らしい砂丘を散策した後、二台の4WDに分乗、砂丘ドライブ、クサール・ギレンの砦の廃墟で沈む砂漠の夕日を眺めテントとはいえ快適な一夜を過ごしました。

4月6日(金) 早朝4時45分起床、朝食を5時15分ごろ済ませ6時、日の出とともに出発、チュニジア南部に位置するベルベル人のマトマタ(Matmata)の洞窟住居を観光。ここも「スターウォーズ」シリーズの4本に出演したチュニジアで最も有名なロケ地、シディ・ドリス・ホテル(Sidi Driss)。中国黄土高原の窰洞(ヤオトン)とそっくり。帰路は堤道を通らずに10時フェリーに乗船、堤道より狭い海峡を渡り対岸のジェルバ島へは10分ほどで到着、グェララ(Gelala)で陶器店を見学した後、ラ・グリバ(El Ghriba)の世界で最も古いシナゴーグを観光予定で到着するも金曜日はユダヤ教の休息日で休みとのことで、昼食後その代わりに昼食後、附近のジェルバ島歴史博物館を訪問するが、ここも金曜日で休館、イスラム圏では金曜日が公共施設では休みが多いことを旅行社としては確認すべきだと思いましたがこれは現地旅行社の責任なのか?結局はスペイン時代の要塞・ボルエル・ケビール(Bordj el Kebir)のガージームスタフ 砦(Fort Ghazi Mustapha)を観光後、ジェルバ空港17時10分発UG009便で40分程度の飛行時間でチュニスへ。到着後初めての小雨の中をチュニスから南東に60km、ボン岬半島の付け根に位置し、地中海に面している街ハンマメット(Hammamet)のナラウェス・ホテル&スパ・リゾート(Nahrawess Hotel & Thalass SPA Resort)に17時45分ごろ到着、ホテルにてビュッフェの夕食。添乗員が到着遅れを心配してか?部屋割を前に食堂い案内、 ビュッフェの夕食なのに出這入りのし難い席を準備したのに私はあえてクレームをつけて席を変えさせて何とか食事を終えてやっと投宿。

4月7日(土) 朝7時起床、朝食を7時から済ませ8時30分ホテル出発、ボン岬半島東岸を北上、 ボン岬の中心地、古くはバビロニアを起源とし、17世紀にスペインを追われたアンダルシア人が釉を使った陶器作りの技術を伝えたことで発展したといわれるポピュラーな陶器で有名な街ナブールを見学した後 ケリビアの街(Kelibia )では漁港を見下ろす丘の上にビザンチン時代のケリビアの要塞に登り見学、漁港の近くで要塞の写真を撮影、あとは一路北上岬半島の先端のエル・ハワリア( El Haouaria )にあるローマの石切り場グロット(危険につき入場禁止になっていた)の傍のレストランで昼食、海岸線の散策の後、途中でフェニキア人によってこの地に初めてもたらされたという樹齢2800年のオリーブの古木を見たあと、フェニキア人の町遺跡 ケルクアン( Kerkuane) の遺跡を見学、出土品の展示館などを観光後一路、朝6時30分起床、朝食を7時から済ませ8時ホテル出発のホテルへ18時15分ごろ帰着。 ハンマメットの街のレストランで夕食、連泊。

4月8日(日) 朝7時起床、朝食を7時30分に済ませ9時30分ホテル出発、マグレブ諸国(リビア、チュニジア、アルジェリア、モロッコ、モーリタニアの5カ国)のイスラム教の聖都 ケルアン(Kairouan)へ、10時半メディナの入口の見張り台の上からアグラブ朝貯水池を眺め、ケルアンの大モスク ウマイヤ朝の将軍ウクバによって670年に創建されたシディ・ウクバ・モスク(Great Mosque of Sidi-Uqba)、ムハンマド(マホメット)の同志(サハブ:友人)アブ・ザマ・エル・ベラウィのシディ・サハブ霊廟(Zaouia of Sidi Sahab)、絨毯店を訪問、昼食はカスバをそのまま改装したホテルのレストランで。ケルアンのメディナを散策後、”サヘル地方の真珠”と言われるスース(Sousse)の街へ、旧市街、ファルハッド・ハシェド広場でバスを降りて、街全体を眺められる要塞リバトの搭に登り広場を中心として新市街中心部、メディナ(旧市街)、ビーチ・エリア、港エリアの4つのエリアを眺め、そのあとメディナを散策、港エリアのレストランでビュウッフェの夕食の跡、、ハンマメットの連泊中のホテルへ20時50分ごろ帰着。    

4月9日(月) 朝6時30分起床、朝食を7時から済ませ8時ホテル出発、約3時間かけて、チュニジア国内の中でも保存状態の良好な65ヘクタールの広さを持つローマ遺跡の代表とも言える ドゥッガ( Dougga)を訪問。正味3時間ほどの観光、丘の上の坂道のハードな観光でしたが、高齢者の多い割には皆元気に観光出来ました。3時頃の現地のレストランでの昼食の後、春菊の咲き乱れる黄色い草原やミモザの黄色の花ざかりの豊かな地中海岸特有の景色の中のドライブで連泊のハンマメットのホテルへ。街のレストランで夕食。 

4月10日(火) 終日自由行動につきモーニング・コールは無く、朝食は7時から。みなさんは10時ごろ添乗員とガイドのヤヒヤさんとともにタクシーでハンマメットの街のメディアの散策に出かけましたが、私は皆さんを玄関まで見送り朝食時に昼食分のパンとバター、オレンジを確保して、折角の設備の整ったホテルの中庭の広いプールを独占、泳いでみましたが、日差しは強いものの水温は冷たく早々に屋内プールに移動、2時間ほど広い室内プールも独占状態、私が泳いでいた2時間ほどの間、3人の婦人と一組の母子の20分程度の利用者だけ、豪華な施設を独占する気分は何か?異様な感じとともにのんびりとした気分を味わいました。12時半ごろに部屋で昼食をしているとメイドが覗き、毎日その日に残った小銭を2ディナールに加えて枕銭として置いておいたせいなのか?言葉は通じないのですが満面の笑顔で、小さなペットボトルのボディーソープとシャンプーを6本ばかりサービスだと置いてゆきました。私は部屋でゆっくり休んでいましたが、午後からホテルの中庭のプールサイドでは日光浴を楽しむ観光客が散見しましたが、冷たい水温のせいなのかほとんど泳いでいる人はいませんでしたが、近くの海岸でカイトサーフィンを楽しんでいるのか?パラグライダーのようなカイトが見えました。2時半ごろ皆さんは帰ってきましたが夕食は海岸のメディアの城壁の上に造られたレストランで。ナラウェス・ホテル&スパ・リゾートでの最終の宿泊。

4月11日(水) 朝8時モーニング・コール、朝食を7時から、10時バゲッジ・アウト、10時30分ホテル出発。11時35分チュニス空港到着、添乗員の心ばかりのおにぎりを弁当代わりに空港内で立ちながら食べ、15時09分発エミレーツ航空EK748便にてドバイへ約6時間のフライト。23時35分ドバイ空港着(時差+3時間) 

4月12日(木) 世界でも有数の広い空港内を予定ゲートまで移動、その広さに感激しながら成田空港組と、関西空港組と別れの為、解散式、成田空港組は02時50分発エミレーツ航空EK318便にて成田へ約9時間45分のフライト。関西空港組は03時00分発エミレーツ航空EK316便にて関西空港へ約9時間10分のフライト。時差が+5時間なので関空到着が午後5時20分、関空での待ち時間約5時間。全日空NH1709便で福岡へ、博多22時05分発 ソニック59号にて大分駅4月13日深夜0時35分着、自宅へはやっと1時前に帰り旅行を終了。


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チュニジアは、古代ローマ帝国における属州の1つであり、イフリーキーヤ(Ifriqiyah)という名前で呼ばれていた地域であった。イフリーキーヤという呼称がアフリカの語源となり、暗黒大陸として詳しく判らなかった為にこの大陸全体の名称となった。フェニキア人は今のアルファべットを発明しただけあって彼らが使用していた言葉が語源となったものは多い。例えば地中海を中心に活動していた彼らは、東から昇る朝日のことをアスー(Asu)西に沈む夕日をエレブ(Ereb)と呼んでいたがそれが今のアジア(Asia)、ヨーロッパ( Europe)の語源である。マグレブ諸国(モロッコ、チュニジア、アルジェリア、リビア、モーリタニア、)で最も小さく国土面積は日本の本州の約役4分の3しかない。国土の半分近くが乾燥した砂漠地帯で内陸部にはオアシスが点在するサハラ砂漠が広がり、北部や東部は地中海に面している。チュニジアの国名はフェニキアの女神チュニスに由来する。フェニキアの植民国家カルタゴを壊滅させた古代ローマから始まりバンダル、ビザンチン、アラブ、スペイン、オスマン・トルコ、フランス等の侵略や征服が繰り返されてきた。このような様々な民族による植民地支配の長い歴史を反映してその名残が数多く残っている。今日チュニジアは、近代文明と伝統が共存した比較的に安定した国であった為に、国をあげて観光にも力を入れ「歴史モザイク模様の国」アラブ諸国からは「緑のチュニジア」と呼ばれ、ヨーロッパ人からは特に肥沃なボン岬半島は「北アフリカのパラダイス」とも呼ばれた。 長い独立運動の闘争を通して1956年.太守だったエル・アミを元首とする立憲君主国として独立を達成。ベイと呼ばれた歴代の支配者は、オスマン帝国の影響に対抗して、ヨーロッパ志向を強め西欧風の改革を目指した。1957年 ベイ制を廃止、チュニジア共和国となると共にブルギバは初代大統領に就任、後に終身大統領となった。1987年の政変で、ベン・アリ将軍が大統領に就任した。彼は穏健な政治路線を採りながら、経済を活性化するためには逆に大胆な改革を実施。リビアやエジプトなどの近隣諸国との外交関係も修復。1975年に大統領を終身制に変更、選挙によって選ばれた議会に対しては部分責任しか負わなてよいことにした。しかし後に政治体制は根本的に改革され、大統領は5年任期を3回までしか務めることができなくなり70才で引退しなければならない様に法律で定められた。また多党制を導入を導入、元の新デストゥール党が改名した護憲民主連合が第1党になった。しかし長期政権は腐敗するもので、最近「アラブの春」の先駆けの革命が勃発し失脚、現在にいたっている。 チュニジアの観光の魅力は3つに分けられる。まず第1は、世界でも有名なリゾート地、主にヨーロッパ人やペルシア湾岸産油国の金持ちが避暑地とし利用している。第2は、ベルベル人やトアレグ族に代表される遊牧民の町、マトマタやシエニーニ等の特異な住居や、砂漠のオアシス、カルタゴやローマの遺跡、イスラムのメディナ等、日本人にも人気がある。第3は、欧州化したイスラム文化と地中海文化のエキゾシズムは、治安もマグレブ諸国の中では一番良いのが観光地として人気の元である。