ドゥッガ




アフリカで最大級の65ヘクタールの規模を持つローマ遺跡


 

紀元前200年頃に成立したヌミディア王国の主要都市として栄え、紀元前9世紀にはカルタゴの影響下に。紀元前46年にローマの属州となった




紀元168に建造された3500席の劇場 円形劇場最上階からの眺め



3〜4世紀にかけて最も繁栄したが、4世紀末にローマ帝国が東西に分裂してから次第に衰退



7世紀になると、イスラム教徒が侵攻。人々は1000年以上に渡って農業を営んできた

 

ドゥッガの遺跡の上は土で覆われ、民家が立ち並んでいたそうです 通路の馬車の轍の跡



発掘調査が始まったのは19世紀、フランスの考古学者らによる発掘   キャピトリン神殿の跡



保存状態の良いキャピトリン神殿や各種建造物などが土の中から次々と姿を現す



保存状態の良い市場



市場や神殿、広場などが土の中から姿を現した



100年前まではローマ都市ががそのまま土の中に埋まっていた状態であった



神殿前の広場



ローマ都市だけではなくて後の時代の建物跡も混在



古代ローマ都市の有様がそのまま残っている



アレキサンダー・セベルスの門                           付近は春菊や野草の花盛り




水源地の跡



ユノ・カエレスティスの神殿



ユノ・カエレスティスの神殿の列柱群



ユノ・カエレスティスの神殿の列柱群

 

ローマへ送る農産物の集積地として発展し、3世紀には5000人以上が暮らす街に 



キャピトリン神殿の前からアレキサンダー・セベルスの門とユノ・カエレスティスの神殿の方向

 

アテバン霊廟:3層造りの塔                                公衆トイレ         
紀元前200年頃、ハンニバルとスキピオが戦ったザマの戦い、スキピオ側についたヌミディアの長官アテバンの遺骨を納めた            


 

貴族の館の床のモザイク等があったが今はチュニス市のバルドー博物館などに移設されている

 

      貴族の館の向こうには肥沃な平原が広がる                 遺跡の中にはうちわサボテンや色ろりどりの野草



平原には今を盛りと黄色い花のミモザの林や春菊の花の苑

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