パキスタン旅行記

◎3月17日(月曜日) 大分空港 9:50発、ジェットスター便で成田へ1時間40分のフライト 心配していたLCC便でしたが成田空港定刻 11:30着、成田空港12:00集合パキスタン・インターナショナル航空PK853 成田発 14:00-北京、ラホール経由-イスラマバード23:40着の予定が北京で遅れた上にラホールとイスラマバード空港ともに豪雨のために着陸できずに飛行機は止む終えずカラチに着陸、入国 後急遽手配のカラチ空港すぐそばのカラチ・エアポート・ホテルへチェックイン


◎3月18日(火曜日) カラチは治安不安のために観光はできないとのことでしたが運良く PK368便カラチ空港8時45分発-イスラマバード12:00着のチケットが確保出来たのですが、カラチ空港へ8時前に到着しましたがこの便も大幅に遅れやっと12時30分頃乗機、イスラマバードの衛星都市ラワルピンディにあるベーナズィール・ブットー・インターナショナル空港到着は15:00でした。旅行社の用意した専用バスでガイドのアズマット(現地のサクラトラベルの社長)さんの案内で早速イスラマバードを通り抜けてガンダーラ最大の都市タキシラの観光、紀元前4世紀のアレキサンダー大王の東征時には都市国家が形成されクシャン朝時代には"一大仏教センター"として栄えた名残の遺跡群がたくさんあります、始めにガンダーラの典型的な山岳仏教寺院であるジョーリアン遺跡、そこから15分程の紀元前2世紀、バクトリア(アフガニスタン北部)のギリシャ人が侵入し建設した都市、シルカップ遺跡を観光したときは旅程の遅れで夕刻になり、イスラマバードの大渋滞の中をラワルピンディまで引き返し、外国人を狙ったテロを警戒してセキュリティーチェックの厳しいパールコンチネンタル・ホテルにチェックイン、ホテルで夕食最初のイスラマバードでの宿泊。

◎3月19日(水曜日) ホテルを8時に出発、大渋滞の中をタキシラの入口のマルガラ峠に16世紀、カブールからアグラまでの壮大な「大幹線道路」グランド・トランク・ロード(王の道)の一部が残っているのを見学、ジョーリアン遺跡、シルカップ遺跡、等の発掘品が展示されているタキシラ博物館を見学したあと、タキシラの都市遺跡の中でも最も古い遺構であるビール・マウンド(「混雑した丘」を意味)の横のレストランでトイレ休憩のあと、途中でマルガラ丘陵の麓に1966年にサウジアラビアの国王シャー・ファイサルの寄進によって建設された世界規模の巨大なモスク、ファイサル・モスクを外から写真撮影、イスラマバードを通過しそれからラホール方向へ一路南下、途中のディナの街のレストランで昼食を摂り、近くにあるペシャーワルからラホールへいたるルート防衛の要衝に建設された要塞、ロータス城塞を観光、パキスタン北部のパンジャーブ地方、ラーヴィー川の岸辺に位置するインドとの国境付近にある都市ラホールのパールコンチネンタル・ホテル・ラホールに夕刻7時頃到着チェックイン、ラホール泊まり。

◎3月20日(木曜日) ホテルを9時過ぎに出発、今日は終日ラホールの観光、予定ではバードシャーヒー・モスク、ラホール城の見学でしたがモスクが要人の訪問で開館が遅れて順序が逆になりローカルな名称として、「シャーヒー・キラー」(王の城)とも呼ばれるラホール城を観光、広大な城内でたっぷり1時間以上掛かりました。次にラホール博物館に11時過ぎに入場、1887年イギリス時代にビクトリア女王50年祭の記念に設立されたパキスタン1の博物館石器時代から20世紀までの収蔵品を収めた多数ののギャラリーがあり期待していた「断食するブッダ」は思ったより小さかったが見応えがありました。続いてバードシャーヒー・モスクに入場、ラホール城のメイン・ゲート、アラムギリ・ゲートの向かいにあり、赤いレンガと白い大理石が美しいモスク、17世紀後半、ムガル帝国最盛期の第6代皇帝アウラングゼーブが建設し着工からわずか3年あまりで完成された当時世界最大規模のものだったらしい。昼食を現地で人気の「TABAQ」レストランですませて午後は1641年にムガル帝国皇帝シャー・ジャハーンによって建設されたシャーラマール庭園を見たあとインドとの国境ワガーのフラッグ・セレモニーを見学、インド側の向かいに見えて興味のある時間でした。帰りに市内のアナルカリ・バザールを散策、ホテルのレストランでムガール帝国の宮廷料理の夕食、パールコンチネンタル・ホテル・ラホール泊まり。

◎3月21日(金曜日) ホテルを8時過ぎに出発、今日はパンジャブ地方南部の交易で古くから栄えたムルタンに向かいます。途中インダス文明で最初に発見された遺跡ハラッパーの都市遺跡とその博物館を見学、その価値が判らずに19世紀にラホール-カラチ間の鉄道建設が行われた際、この遺跡の煉瓦が持ち去られ線路の敷石に使用されたことなどが遺跡の破壊を進めモヘンジョ・ダロと同時代のものらしいが住居跡や工場跡はまだ残っていますが意外なほど遺物が少ない印象でした。 ムルタンへの途中のディバネハーヌ・レストランで遅めの昼食、それから2時間ほどでムルタンの街に到着、ムルタンには、インドにおけるムスリム勢力の拠点で5人のイスラム聖者の廟墓があるが、代表的な1335年に亡くなった聖者シャ・ルクヌッディーンの廟、シャー・ルクネ・アーラム廟の見学がイスラムの祭日の金曜日のために市民が沢山.集まっていて大混雑、ガイドのアズマットさんの特別手配でパトカーの先導で優先的に見学出来ました。続いてすぐ傍にあるバフディン・ザクリア廟を見学した後、ラマダ・ホテル・ムルタンに到着チェックイン、ムルタン泊まり。

◎3月22日(土曜日) 今日はパンジャブ州からシンド州北部にある都市サッカル迄の長距離移動のためホテルを7時15分に出発、途中パンジャブ州のウッチュ・シャリフにある青のタイルが輝く八角形の聖者廟、ビービージャヴィンディ廟を見学、道中ではそれぞれの管区のパトカーが境界ごとに交代して先導してくれていましたがこれもガイドのアズマットさん特別手配。トラックの行列やサトウキビ満載のトラクターで渋滞する中を優先的に走行できました。ウッチュ・シャリフとシンド州境の中間のレストランでナン等の料理の実演を見学したあと昼食、2時半頃シンド州に入りました。ここでもシンド州のパトカーが州境のヌール・モスク(鏡のモスク)で合流、一路シンド州のインダス川に面した街サッカルへ、街に入る前に事故なのかメイン道路が大渋滞、運転手の機転で細い脇道からインダス川岸の抜け道で無事サッカルのインターパーク・インに到着チェックイン、サッカル泊まり。

◎3月23日(日曜日) 今日は終日モヘンジョ・ダロの観光、サッカルからモヘンジョ・ダロまでは130kmあるために昨日と同じ7時15分に出発、情報では新しい道が通行できないとのことでしたが幸いにも通れてパトカーの先導で約2時間で到着、モヘンジョ・ダロはBC2600年〜1700年頃までに栄えたインダス文明最大の都市遺跡。まず博物館の見学、メソポタミアとの関係を示す神官像のレプリカや陶器、玩具、女神像、印章など様々な展示品がありました。インダス文明時代の遺跡の上に造られた高さ15mあるストゥーパは、2〜3世紀頃の仏教時代の遺跡のため、1921年の本格的な発掘まで、モヘンジョダロは仏教遺跡と考えられていましたが発掘の結果遺跡は何層もの時代が重なっていることが判明しました。遺跡の発掘も2割程度しか進んでいませんが城塞区と市街地から構成され、高度な水利システムと都市計画のもとに造られた最盛期で3万人の人口を抱えたと推定されています。文明の興隆や文字を含め、未だ解明されていないことが多く、数日前の雨で水の流れた跡では色々な遺物の破片が私たちにもたやすく見つけることが出来ました。レストハウスで昼食のあとサッカルの空港までパトカーの先導で約3時間、4時20分頃空港到着PK694便サッカル空港18;00発-イスラマバード20:00着、ここでフンザのツアーに継続参加の私と他2名は皆さんとお別れ、帰国の皆さんはPK852便イスラマバード21;45発-ラホール、北京経由-24日成田12:50着の国際線へ、継続参加の私達はパールコンチネンタル・ホテルの中華レストランでアズマットさんと夕食、宿泊。

◎3月24日(月曜日) フンザのツアーは到着が23:45の予定でしたのでアズマットさんの案内でイスラマバードの観光でしたが生憎の大雨、雨具をつけて傘をさしてもずぶ濡れの有様、それでもアズマットさんの実直さで、ラワルピンディのバザールを見学、パキスタン・ナショナル・モニュメントと付属のパキスタンの歴史を展示した博物館を見学しましたが、あとのもう一つの博物館見学は大雨のために辞退してパールコンチネンタル・ホテルで休憩、夕食はアズマットさんの自宅に招待されて始めてイスラムの家庭の食事でしたがアズマットさんと子供達は一緒に食卓に向かいましたが奥様は同席するだけで食べません。質問するとイスラムの家庭ではお客さんを招待した席では決して奥様は一緒に食卓に向かはないそうです。ホテルに帰って昨日まで一緒だった相部屋の方はフンザのツアーで奥様が合流とのことで私は別の部屋に移り、新しい相部屋の方と夜中に合流しました。

◎3月25日(火曜日) フンザのツアーの方々は私達3人が19日に観光したタキシラのモフラー・モラードゥ寺院ジャンディアル寺院ダルマラージカ寺院ビール・マウンドでしたので折角だからタキシラの別の遺跡を観光しようと計画しましたが、治安が悪いので勝手にタクシーなどに乗ってはいけないとのことでアズマットさんが別の車を用意してくれて英語のガイドまで付けてくれて、お陰でモフラー・モラードゥ寺院、ジャンディアル寺院、ダルマラージカ寺院、ビール・マウンドの都市遺跡を見学したあとで、ビール・マウンドのすぐ傍のレストラン「ガンダーラ」で合流、残念ながら雨模様の曇り空の中をハイウェイとは名ばかりの舗装道路を約6時間、ベシャムのPTDCモーテルに8時過ぎに到着。

◎3月26日(水曜日) ホテルを6時45分に出発、今日はインダス河岸の急峻な斜面を一度は舗装した道路だが後の地震や崖崩れで処々未舗装のカラコルム・ハイウェイをチラス経由ギルギットまで長距離移動、最初はインダス河の左岸を走り1時間程で崖崩れを重機で片付けている処を通過、ダス(水力発電ダム計画のある)でインダス河を右岸に渡り午後1時にはサティアールの岩絵に到着、昔は仏僧は中国からシルクロードを通って此処からインダス河を渡りましたので旅の安全祈願や増水した川の水が引くのを待つ間に4〜8世紀に画かれた岩絵だそうです。それから又走ること2時間半、チラスのシャングリラホテルで遅いランチ、チラスはカラコルム・ハイウェイの中でも乾燥した山岳砂漠地帯で、この付近ではインダスの川幅も広く浅くなり、インダス川を渡る場所となり、岩に仏教僧によるストゥーパ(仏塔)などのモチーフのものが多く残されています。チラスの岩絵を見たあとで走ること1時間半、道端に温泉の湧き出す「タタ・パニ」(ホット・ウオーターの意味)で温泉を浴びる民衆を写真撮影、ナンガ・パルバット(8,125 m)のビューポイントでは曇で残念ですが山はよく見えませんでした。午後6時半頃、ヒマラヤ、カラコルム、ヒンドゥークシュ山脈分岐点であるインダス河とギルギット川の合流地点で記念碑と展望台を見て、ギルギット川に沿って北上しギルギットのセレナ・ホテルに到着したのは7時半頃になり13時間弱の移動でした。

◎3月27日(木曜日) 早朝、まだ暗いうちに起床してホテルの周囲を散策しましたが、期待していた北北東にあるはずのラカボシ(7,788m)、北東のディラン(7,257m)ともに曇で見えませんでした。ホテルの南や南西方面は雲は多少少なめでしたがすぐ傍の山が邪魔してヒンドゥークシュ山脈の6000m級の雪山はその陰で一部しか見えません。今日はカラコルム・ハイウェイから外れてパキスタンの北方地域に5の地区がありそのひとつギザル地区の中心に当たるガクーチにギルギット川を遡り向かいます。ホテルを9時30分に出発、途中渓谷の入口のカルガの磨崖仏をギルギット川岸の左手に見上げ、最近発見されてストゥーパであることが判明した荒れ果てたハンゼル・ストゥーパ(石材は民衆のために持ち去られ土の山と化した)を見たあとこの辺りでは珍しい清流を遡りパキスタンとタジキスタンに挟まれたアフガニスタン領のワハーン回廊に繋がる玄奘三蔵がガンダーラからの帰りに通ったとされる渓谷のガクーチに2時過ぎに到着、グリーン・パレス・ホテルで遅めのランチ、その頃は晴れて周囲をヒンドゥークシュの6000m級の雪山に囲まれ杏やアーモンドの花が咲き誇る正に桃源郷の雰囲気を堪能、帰りは同じ道を引き返し、ギルギットではバザールの見学でしたが私は他の数名とバスに残りセレナ・ホテルに先に帰りました。

◎3月28日(金曜日)  ホテルを9時に出発、ギルギット川を渡り、フンザ川をホテルを9時に出発、でフンザの中心地カリマーバードに向かい遡ります。1時間程走るとカラコルム・ハイウェイの工事の際に亡くなった方々の追悼記念碑と墓が急峻な山とフンザ川の狭い岸辺に並んでいました。そこから20分程のところに小さな部落があり道沿いにバザールがあり散策しました。この辺りにはフンザ川の両岸に杏やアーモンドの木が沢山ありましたが標高が低いせいで花の盛りは過ぎていました。しかし急峻な山から流れ落ちる氷河の雪が散見されました。12時30分、ラカボシ・ビュー・ポイントのレストランで昼食でしたが雲が厚く残念でしたがラカボシの姿は見えませんでした。今までカラコルム・ハイウェイはギルギットからここまではフンザ川の右岸をた辿っていましたがビュー・ポイントのレストランを出て10分ほど走るとフンザ川の左岸に渡ります、フンザ川の右岸は昔のナガール王国の領土だったために岸辺に点在する部落の名前にはナガールが付いていますが左岸はフンザ王国の領土だったために部落の名前にはアバードが付いています。因みにラカボシ・ビュー・ポイントのある処はグルメット・ナガール(Ghulmet Nagar)、渡った部落はナシラバード(Nasir Abad)午後4時にはフンザの玄関口のハイデラバード、アーリアバードを通過、杏やアーモンドの花盛のカリマバードに到着、ここは山の斜面に張り付いたような地形で高低差が大きく低いところは花盛りですが高いところはまだ蕾の状態でした。運悪く今日はどんよりとした曇で我々の宿泊するホテルは車で40分程登ったデュイカル展望台にあるイーグルズ・ネスト・ホテルでしたが、自慢の大展望は曇で本来の景観とは多少ことなっていました。

◎3月29日(土曜日) 早朝、まだ暗い5時半にホテルの.裏山の頂上から周囲の雪山を展望しようと登りましたが生憎の昨日よりも雲が厚く朝日に輝く周囲のカラコルム山脈の7000m級の山々は見えませんでした。ホテルを9時30分に出発、ガニッシュ橋を渡りアルチット城の崖下のカラコルム・ハイウェイ沿いのフンザの岩絵を見学したり、崖に張り付いたように植えられた杏の花盛りは見事な光景でした。昼食は今夜の宿泊予定のカリマーバードのセレナ・イン(旧バルチット・イント)で摂ったあと、30年ほど前まで、ミールと呼ばれる藩王達が宮殿として使ってきた城「バルチット・フォート」を見学、バスがすぐ傍までは旧坂で道が狭く行けないので途中で降りて徒歩で登りました。「バルチット・フォート」見学後、そこで解散各自散策しながらセレナ・インまで徒歩で下り、夕食はホテルのレストランですませそのまま宿泊。

◎3月30日(日曜日) ホテルを8時30分に出発、今日の目的地は上フンザのグルミット、ガニッシュ橋を渡り昨日の岩絵の前を通り、2010年1月に上部フンザで発生した地滑りで土砂がフンザ川を堰き止め誕生したアッタバード湖の船着場まで約1時間、そこから渡し舟に乗り換えて約1時間、グルミットの手前の大半が水没したシシュカット村(Shishkat)の湖岸で船を降り、嘗てはカラコルム・ハイウェイがおよそ19Kmにわたり湖に沈んだため、殆ど水没していたがあとで土砂を爆破し水位を下げてかなりの部分が湖面から浮上した通れるようになった村内の路を4輪駆動車に乗り換えて、対岸のグルミットへの橋が流されて人一人しか通れない木の仮橋を歩いて渡り再度小型バンに乗り換えてやっと11時30分にグルミットのマルコポーロ・ホテルに到着、そこでランチを摂りグルミット村の中の小さな博物館、ミールの別邸、ポロ場の広場、女達の絨毯織りの作業場等を散策、帰りは行きと逆の行程を辿りました。行きは曇って多少霙混じりの寒い天候でしたが帰りはやっと天候も多少回復して湖岸で進むカラコルム・ハイウェイの新しい工事の状況や湖面の雄大な景色を楽しむことが出来ました。午後5時にはセレナ・インの到着しましたが明日の天候の回復を期待して就寝。

◎3月31日(月曜日) 今日は昨日とは大違いの快晴、希望者のみ朝5時に出発、28日に泊まったイーグルズ・ネスト・ホテルの裏山のデュイカル展望台に行き朝日に輝く周囲のカラコルム山脈の7000m級の山々とカリマーバードやナガール渓谷、スマヤール渓谷に繋がる大展望を楽しみ、7時30分にセレナ・インで朝食、ホテルを8時30分に再出発、「ハセガワ・メモリアル・パブリックスクール」(当時未踏だったウルタル2峰に挑み雪崩で亡くなった長谷川恒男さんの遺志を継ぎ未亡人が、フンザの人々の事故のあとの捜索や墓所の建設に好意的に協力くれたのに応えて建てられた、男女共学、英語での授業、コンピュータ導入、という僻地としては極めて稀な私立学校)の朝礼の様子や教室を見学、そのあとホテルに戻り4輪駆動車5台に分乗、ガニッシュ橋を渡り昨日とは反対側からナガール渓谷へ進入、渓谷の山際の細い道の途中からは前後左右に周囲の7000m級の雪の山々が眺められ、要所で写真ストップを繰り返し、2時間程走るとホパール村に着く。そこのレストランから小高い丘を少し徒歩で登るだけでラカポシの東15qに位置するディランから流れ落ちる砂などで表面が黒っぽいホパール氷河が俯瞰出来ました。レストランの傍には村人が氷河などから拾い集めた宝石や貴石で手作りしたネックレス等の土産品の露店を開いていました。レストランでランチのあと再び4輪駆動車で引き返し、ガニッシュ橋を渡ってからはカリマバードの花盛りの杏やアーモンドの光景の撮影を楽しみながらセレナ・インの到着、フンザ最後の夕食、絨毯の上で座った会食場でフンザ式の伝統的な音楽を聞きながら剣舞等を観賞、アシスタント・ガイドのアリさんやガイドのアズマットさんも踊ってくれました。

◎4月1日(火曜日) ホテルを8時30分に出発、今日はカリマーバードからギルギットに引き返しますがアーリアバード、ハイデラバードを通過してカラコルム・ハイウェイを左に外れ崖下に降りて低い位置にある橋を通りフンザ川を渡りスマヤール渓谷に入りました。そこで何故アシスタント・ガイドのアリさんが今度のツアーに特別参加している理由が判りました。ナガール王国の領土だった地域はイスラム教のシーア派地区で基本的には他派の人々は容易に入れません。ガイドのアズマットさんはスンニ派ですし、フンザ王国の領土だった処はイスマイリ派ですので今までどこの旅行社もあまり紛争の元になるので通常のツアーの行程には入れておりません。アズマットさんは此処を観光開発をしようとしてこの地区ので顔の効くアリさんを採用して同行していました。カリマーバードの対岸のスマヤール・ナガール村に入ると村民はアシスタント・ガイドのアリさんに親しく挨拶をして外国人が珍しいらしく大勢の村人や子供達が集まってきて我々を歓迎してくれました。しばらくこの地区を散策観光、帰り際には崖下に歩いて降りてフンザ川岸や橋の撮影をしたりしながら再びカラコルム・ハイウェイを下り、ラカボシ・ビュー・ポイントのレストランで昼食でしたが今度は快晴でラカボシの勇姿を十分に堪能出来ました。帰りの途中の部落では花も終わり新緑が目立ち始めポプラもうっすらと新芽を出し始めていました。午後4時過ぎにはギルギットに到着、行きと同じセレナ・ホテルにチェックイン、今度は北北東のラカボシ(7,788m)、北東のディラン(7,257m)ともにはっきりとその勇姿を楽しめました。明日はギルギットからイスラマバードまで国内線の小型機でフライトの予定ですがギルギット空港はその地形の関係で着陸できないことが多く欠航した場合はカラコルム・ハイウェイを行きと同じように2日間かけて下りイスラマバード観光は出来ないとのことで添乗員やアズマットさんはその情報収集に懸命のようでした。

◎4月2日(水曜日) 私は朝早く起きてホテルの周辺を散策、行の時よりは雲は少なめで雪山は見えましたが気流などの関係で国内線は着陸できるかどうか微妙な状況でした。一度9時にフロントに集合して待機していましたが、一応飛行はキャンセルになってはいないとのことでイスラマバードをまだ離陸してない10時にホテルを出発、空港に向かいました。途中10時15分に離陸したとの情報が入りました、しかし気象条件により着陸できずに.引き返すことが多々あるので心配したが無事着陸した時には空港内で乗客の皆さんから歓声と拍手が起こりました。飛行高度が低く周囲の雪山の少し上を飛ぶために谷を辿りながらのイスラマバードまでの約1時間のフライトで1時少し前に到着、イスラマバード中心街ジンナー通りDブロックのウスマニア・レストランで昼食を摂り、マルガラ丘陵(標高670m)の中腹にあるダムネコー展望台から1969年以来建設が進められているカラチから移った首都としての升目状の計画都市イスラマバード、11世紀頃から都市として栄えていたラワルピンディの北10kmに隣接して整然とした右下に1966年にサウジアラビアの国王シャー・ファイサルの寄進によって建設されたファイサル・モスク、真下に真っ直ぐに伸びた7番街の大通り、左奥にラウォール人造湖、ファイサル通りとカシミヤハイウェイの交差点にはパキスタン・ナショナル・ムージャム等が一望出来ました。展望中に雨になり帰りにファイサル・モスクを外から希望者だけはバスから降りて写真撮影をしましたが私は天気の良かった19日に既に見ていたのでおりませんでした。パールコンチネンタル・ホテルに帰りホテル内の中華レストランで夕食、宿泊。

◎4月3日(木曜日) パキスタン最後の1日、私は19日に既に観光したロータス城塞でしたが治安が良くないので一人歩きは出来ないとのことで再度皆さんと同行することにしました。ホテルを10時に出発、途中アショカ王のパキスタンにある3基のストゥーパの一つであるマニキャラ・ストゥーパを観光、ディナの街のレストランで昼食を摂りロータス城塞を観光、アズマットさんが我々再訪問の三名のために19日と異なるルートで案内してくれました。パキスタン最後の夕食はパールコンチネンタル・ホテルのレストラン、旅行社のサービスでイスラムなので酒は駄目とフレッシュジュースで乾杯、ラワルピンディの国際空港にてアズマットさんと別れてPK852便に搭乗(22:35イスラマバード発)

◎4月4日(金曜日) PK852便 北京7:20着(時差+3時間) 北京空港にて約2時間の機内待機 北京空港9:38発ー成田空港14:03着(時差+1時間) 成田空港16:25ー大分空港18:15のLCC ジェットスター605便大分着にて19日間のパキスタン旅行終了しました。

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