モヘンジョ・ダロ

1921年、ストゥーパの一部が発見され2世紀前後の僧院跡と予測、発掘が開始された。掘ってみるとその遺跡は僧院などではなく、巨大な古代都市の遺跡の上に後世造られたものであることが判り大発見となった。他の文明で使われていた原始的な日干しレンガとは違い、モヘンジョ・ダロの都市の住宅材には高い技術の窯焼き煉瓦で一定のサイズのものが使用されていて、水洗便所や汚物を処理する下水道まで作られていた。最盛期には4万人近くが居住していたと推測される。もともと地元民に代々古い時代に生きていた得体の知れない死者が眠る墳丘と伝えられていたので、発掘中に発見された白骨遺体46体は突然死の状態で現地の言葉で「死の丘」を意味するモヘンジョ・ダロと呼ばれるようになった。現在も、モヘンジョダロは遺跡の上に新しい別な遺跡が覆うと言った感じで、年輪のように何十にも重なっていったので最下層がどこまで続いているのか判明していない。よって遺跡全体の敷地面積は本当のところは不明である、しかしいま現代の研究では凡そ120平方kmと予想されているが、まだ4平方kmしか発掘されていない。太古のインダス川の上にあり発掘すると水が染み出てきて塩害により遺跡を痛めてしまう恐れがあるとのことで発掘は中断されている。この遺跡の起原が判明すれば世界最古の文明ということになるかもしれない。



SDエリアは神官階級以上の人々が住んだ区画   DK地区は貴族や職人階級の人々が住んだ区画  
VS・HRエリアは農民が住んだ区画       と考えられています




城塞区SDエリアの衛星写真    呼び名は城塞となっているが、戦争用の遺物は見られない







遺跡の上に造られたストゥーパは高さ15m、2〜3世紀頃の遺跡。このストゥーパのため、1921年の本格的な発掘まで、モヘンジョダロは仏教遺跡と思われていました。    見る方角によって色々な形に見える。一番上の姿が一般的に流布されているもの。



沐浴場は12m×7m、深さ2.5m、煉瓦で精巧に造られた壁にはタールを塗って防水した跡が見つかっている



市街地DKエリアの衛星写真



「第一大通り」は、VS・HRエリアとつながっています        



写真の円筒形の構造物は井戸の跡。淵が床面のはずなのだが遺跡の上に新しい別な遺跡が覆うので発掘するとこのようになる



保存状態が良い「家」では部屋の間取りが想像できます



公衆トイレ



家の表通りに面した側は壁は高く、階段の跡も残り二階建て以上の建物だと思われるの、路地に面し窓や入り口がありました



城塞区からのVSエリアの遠景



城塞区からのHRエリアの遠景


VS・HRエリアの衛星写真                                       



VSエリアのパノラマ     低層の建物群



HRエリアのパノラマ   下層民衆の建物群


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