アントワープ




日本では、英語名に由来するアントワープのほうが一般的ですが、オランダ語ではアントウェルペンAntwerpen) マルクト広場からノートルダム大聖堂を見てフルン広場を抜けバロック絵画の巨匠ピーテル・パウル・ルーベンスの邸宅とアトリエが、美術館となっているルーベンスの家を見学しました。

 
 

スへルデ河畔の港町で栄えた面影を残す船着場、今でも沢山の船が停泊しています

   

スヘルデ川はオランダ南西部河口域 を経て北海につながっている。河畔港の駐車場でバスを降り砦跡のそばからマルクト広場へ

 

アンティゴーンとブラボーの戦いの看板       シティーホール、童話『フランダースの犬』のネロ少年が最後の望みをかけた絵画コンクールの場所

スへルデ川を支配していたアンティゴーンという巨人が船乗りたちに高額な河川の通行料を押しつけ払えない者がいると、
    
罰として船乗りの手を切り川に投げ込んでいた、そんな悪事を止めさせたのが古代ローマ人の英雄シルヴィウス・ブラボーとの伝説がある。


  

噴水の上にそびえるブラボーの像アンティゴーンの手首を切って川に投げ込む姿、ジェフ・ランボーによる1887年の作品)からノートルダム大聖堂
1352年に着工、180年をかけ建立されたブラバンド・ゴシック様式の大聖堂。複数の塔が立つ予定が大火事で資金が不足、塔は1本のみになつた。

  

アントウェルペン・ノートルダム大聖堂の内部のステンドグラス

  

アントウェルペン・ノートルダム大聖堂の見取り図と主祭壇の聖母被昇天(1625−26)(ルーベンス)

 

キリスト昇架(1609−10)          ルーベンス)                 キリスト降架(1612−14)

 

フルン広場のルーベンス像からのノートルダム大聖堂                      巨人アンティゴーンの手首の彫刻    

 

ルーベンスの自画像  ルーベンスの家邸宅とアトリエが美術館として一般公開。イタリアから故郷のアントワープに戻ったルーベンスが1610年に購入)

 

ルーベンスが亡くなった後、幾人かの人の手に渡りますが18世紀と19世紀に2度ほどアントワープ市が購入を画策したが失敗、
1937年、3度目で荒れ果てた邸宅を市が購入することに成功。丁寧な修復作業を経て、ようやく現在の美しい姿を取り戻しました。


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