イスラエル旅行記

●3月4日(木) 福岡空港よりコリアンエアーKE778便(10:30発)にてソウルのインチョン空港へ12:00到着。関西空港から夫婦2人、成田空港から4人の女性が集合、添乗員を含めて8人のこじんまりとしたツアーで、私はインチョンでの待ち時間が約5時間半、待合室で寝ころんで待ちましたが、成田まで行くことを考えれば時間的にも費用の面でも節約できて、当ツアーに参加した主な理由でしたので満足でした。コリアンエアーKE957便(17:25発)にてイスラエルの政治経済の中心、テルアビブのベングリオン空港へ、現地時間22:25到着。時差がー7時間なので実質飛行時間は12時間、入国審査で以降のアラブ諸国の入国時にイスラエルのスタンプがあると入国出来ない場合があるのでノースタンプをお願いスタンプはメモ用紙に押してくれて、すぐ回収されました。福岡からと待ち時間を加えて19時間かかり、テルアビブ泊まり。


●3月5日(金)
地中海の海岸の高層マンションのそばの変哲もない砂丘の一角が乱開発を防ぐためポレグ自然保護区に指定されていて小さな野生種の草花が咲き誇り、野生のミモザの花も満開、ワイルドフラワーウオチングを楽しみましたが野外学習なのかハイスクールの生徒たちの引率の女性教諭の持つマシンガンがイスラエルの治安を象徴しているように感じましたが、駐車場の警備のマシンガン所持の兵士を撮影しようとして制止され、写真撮影はできませんでした。テルアビブの北50Kmにあるカイザリアへ向かいました。紀元前後、ローマ帝国屈指の港町でキリスト教史上ではペテロやパウロがローマ宣教に旅だった港町として知られ、ローマ時代の円形劇場やヘデロ大王が築いた宮殿の跡、時代の下った十字軍の要塞跡などの混在する遺跡を観光、途中の遺跡の中にあるレストランでイタリアンランチの昼食とり、参加者の自己紹介があり、いずれも旅のベテラン揃いでした。午後近くのローマ時代の導水橋(20Kmも離れたカルメル山から市民の飲み水を引いた施設)を見た後、ティベリアへ向かう途中の麦畑や菜の花、春菊の黄色に彩られたエズレル平原の小高い松林の丘に野生のシクラメンの大群落、シクラメンの丘を散策、アラブの伝統的な村落風景を眺めながらイスラエル全土の3分の1の生活用水をまかなっているというガリラヤ湖畔のキブツの経営するホテル ノフ・ゲノサレに到着、宿泊。


●3月6日(土)泊まったホテルの敷地内にある展示館で旱魃時にガリラヤ湖の水位低下によって1986年に発見され苦労して発掘されその時の模様を写した映画を観賞、2000年以上前の古代の船が展示されていました。ガリラヤ湖周辺はイエスの布教ゆかりの地、奇跡を起こした「パンと魚の増加教会」を観光、その後北上してヘルモン山麓のイスラエルがシリアから占領しているゴラン高原へ。至る所に鉄条網の囲いがあり中は地雷原で立ち入り禁止とのこと。利用できる土地は少ないがイスラエルが地雷を撤去しないのはいずれはシリアに返還しなけれはならないだろうとの観点からコストをかけない配慮。しかし返還すると絶好の攻撃拠点になるので未だに返還出来ないらしい。イスラエル軍の監視所のある丘の麓から日本の自衛隊も駐屯する国連監視軍のイスラエル側の兵舎、シリア側の兵舎や遠くに見えるシリアの村を遠望。ホーシャット・タルでは高原のため寒いせいでしょうか低い雑木林の根元に咲くワイルドフラワーウオッチング。バスに乗車直後、厚い雲の切れ目からヘルモン山の雪峰が垣間見え、ルーズ人のマサデを経由して、十字軍のニムロデの要塞やアンズの花の咲く畑などを車窓に見ながら高原を下り2000年以上昔のギリシャ時代の神殿のバニアス遺跡を観光、公園内でピクニックランチ、添乗員の心ずくしのおにぎりも、そこからヘルモン山からの雪解け水のドン川の急流の渓谷のそって2時間程度のフラワーウオッチングの散策、バニヤスの滝で崖を上がり、途中マスアダでアネモネの名所を見てガリラヤ湖畔に引き返し宣教の拠点だったカペナウムとガリラヤ湖一望の山上に建つ垂訓教会からイエスの弟子たちも歩いたという麦畑と草花の咲き誇る祝福の丘を徒歩で下り眺めを満喫、湖畔に連泊。


●3月7日(日)朝一番、アルベル山に登りガリラヤ湖を眺め、フラワーウオッチングを楽しみ、聖母マリアゆかりの地、ナザレへ向かいましたが途中、イエスが結婚式で水をワインに変えた奇跡の地に建つといわれる「カナの教会」を観光、カトリックとギリシャ正教の二か所ありましたが双方とそれぞれの土地がその場所だと主張しているそうです。ナザレではアンジェリコ、ダ・ビンチ等の絵画で有名な大天使ガブリエルからマリアがお告げを受けた洞窟の上に建つ1969年完成の受胎告知教会があり、世界各地から寄贈された聖母子像の絵が架けられていました。そのガブリエルがマリアの前に初めて現れた井戸のある聖ガブリエル教会も訪問。その後海抜ー250mの世界で一番低いオアシスにある世界最古の街といわれるエリコへ向かいましたが、パレスチナ暫定自治区のためユダヤ人の運転する我々のバスは入れずに、パレスチナ側のバスに乗り換えて街に入りザカイアの木を見て遺跡の丘に登り街と死海の景色を遠望、遺跡の傍らのレストランで昼食、街を出て再び元のバスに乗り”死海写本”が発見されたクムラン洞窟を観光してヨルダン川沿いに南下、死海沿岸のリゾート地エンボケのホテル「ホド」に到着、規模はそう大きくないが唯一プライベートビーチを備えた高級ホテルで海岸に隣接する地階に死海の塩水を沸かしたスパで早速浮遊体験をしました。



●3月8日(月)早起きをしてプライベートビーチから死海の日の出を写真撮影、昨日スパで浮遊体験をしていましたし、対岸のヨルダン側で経験済みでしたので海抜ー400mの死海での皆の浮遊体験の写真撮影を担当しました。ホテルを10:20出発し紀元70年にローマ軍に追い詰められてユダヤ人が最後に籠城玉砕した砦「マサダ」(紀元前120年頃に最初に建設され、後にヘロデ大王が離宮兼要塞として改修、難攻不落を誇った)をロープウエーで登り観光、ローマ軍が攻撃のためにユダヤ人の奴隷を使役して造った人工の攻撃路などを観光。73年に籠城したユダヤ人は自決が宗教上禁止されているので大半が飢死にし残った者も選ばれた10人が皆を殺し、最後の一人だけが戒律に背いて自殺したと、この事実は数名の子女が洞窟に隠れ生き延びて伝えられたといわれている。イスラエルではエルサレムに次ぐ人気の観光地で、イスラエル国防軍の入隊式は頂上で行われ、国歌えの忠誠を誓うそうです。ロープウエーの下の駅にあるレストランで死海を眺めながらの昼食、記念の買い物をしたのちミツペ・ラモンに向かいましたが途中の砂漠の中の街イエロハム付近で街の名前のついたイエロハムアイリスの花を探したり、ベドウインの羊飼いを訪ねたり、家畜の飼料用に植えたと思える麦畑や、一儲けしようと投資家の造った人工の溜池を見たりしながら世界最大のクレーターミツペ・ラモンへ、早く到着したのでそのままクレーターの中に入り、カーペンタリー(大工の仕事場)と呼ばれる短い柱状節理に似た岩の林立した乱雑に積み重なった丘を散策、ホテル「ラモン・イン」に到着、アパートを改造したコンドミニアム形式のホテルに宿泊。

●3月9日(火)早朝、雄大な自然の造形美を見せる世界最大のクレーター(マクテシ地形、長さ40Km,幅2〜10Km,深さ500mネゲブ砂漠には大小合わせて三つのマクテシがあるがここが最大)に昇る朝日を楽しみにしていましたが、生憎の砂嵐で外輪から昇る太陽は見えずに少し昇った太陽が月のように白く見えただけでした。ホテルへ戻り朝食の後、ビジターセンターでミツペ・ラモンの成り立ちや規模の説明映像を見て、バスでクレーター内に入り,昔の香料の道を辿り、砂漠の中のバスだまりで降りて中にあるオアシスの泉までフラワーウオッチングの散策をすることになったが2人はバスの中で休みガイドのほか6人で出発したが。しかし連日の歩きで2名が大きく遅れて、泉までもう一息のところまで到達したが、そこの小高い丘の上から泉を遠望、、先に出発した遠足の子供たちが泉に到着するのが見えましたが後続が来ないので時間の関係で引き返しました。その後クレーターを出てチンの荒野と呼ばれるネゲブ砂漠の荒れ地の中を抜けてイスラエルの初代首相ベングリオンがネゲブ砂漠の開発の夢を抱いてキブツ「スデ・ボケル」に移り住み、死後もそこに葬って欲しいチンの荒野が一望できる場所に夫妻の墓所がありそこを見学、人々が大勢集まってイスラエル国歌を歌い何かイベントを開催していましたので墓所の正面からは撮影できませんでした。そこからベエル・シェバの街のレストランで昼食後、3000年前にユダヤ人の始祖のアブラハム住んでいたというテル・ベエル・シェバの遺跡でアブラハムの井戸で小石を落としその水音で深さを実感、貯水施設へのらせん階段を下りて中を見学しました。途中のエラの谷やラトゥルン修道院前などでフラワーウオッチングをしながらエルサレムへ。エルサレム旧市街の中の元のヨルダンとの国境線のすぐ脇の旧ヨルダン側にあるホテル「モリア・クラシック」に到着、宿泊。

●3月10日(水)何時もより早めの7:45の出発、旧市街の東、小高い神殿の丘(ユダヤ教徒はそう呼ぶが、イスラム教徒は「岩のドーム」と呼ぶ)へは大勢の観光客、その上厳重なセキュリティー・チェックで長蛇の列でしたが丘の南に建つアル・アクサ・モスクのがよく見えました。飛行場より一段と厳しいチェックを受けて「嘆きの壁」を見下ろす渡り廊下を通り丘の上にでました。(現在はイスラエルの実効支配を受けているが、イスラム教指導者により管理され、ユダヤ教徒やキリスト教徒は丘の上では宗教的な儀式は禁止され、聖書の持ち込みもできないそうです。)右手にアル・アクサ・モスクの入り口、左手のもう一段高い所に金色に輝く「岩のドーム」全員で前で記念撮影を済ませドーム内には入れないので右回りで1周して西の門から出るとそこは「嘆きの壁」大勢のユダヤ教徒が壁に向かって祈っていました。バスでケデロンの谷を隔てて東の丘陵オリーブ山に登り、最初は東の斜面からパレスチナ自治区(ヨルダン川西岸)のイスラエルの入植地やアラブ人の家屋の建つ風景を眺めましたがすぐそばにはベドウインの羊飼いが羊の群れを追っていました。それから西の頂上付近で旧市街全体を眺め、すぐ下に建つイスラエルでは一番新しいローマカトリックのドミヌス・フレヴィ教会(主の涙の教会)に入り祭壇の窓越しに正面に見える岩のドームの撮影をしたとたんに追い出され(理由が判らずに退出したがミサが始まる時間のようでした)、そこの展望台から旧市街のパノラマを堪能、「マグダラのマリア教会」のそばの急な坂道を歩いて下り「ゲネッセマの園」と呼ばれるオリーブ畑のある「万国民の教会」を観光、ヨーロッパの観光客が陸続きのせいなのか大型バスで大勢押し掛けていて狭い道での乗り降りに時間がかかり前は大渋滞、やっと我々も小型バスに乗り込みステパノ門(俗称ライオン門)から城壁をくぐりイスラム教徒地区に入りしばらく進むと右手にアンナ教会、その隣が鞭打ちの教会。ここから悲しみの道「ヴィア・ドロロサ」西に向かって始まり隣がエッケ・ホモ教会、途中ガイドの案内でドイツ系の巡礼宿の屋上からオリ−ブ山、神殿の丘、ヴィア・ドロロサの終点「聖墳墓教会」などが良く見渡せました。また道の賑わいなどが上から見下ろせて雰囲気が良く判りました。降りてから再び道を辿りキリスト教徒地区のイエスが十字架に架けられた場所に建つという聖墳墓教会(教会内部は大変複雑で、場所によってキリスト教各派の共同管理、あるいは各派分割管理)を観光、観光客でごった返し満員で肝心のキリストの墓の内部は覗けませんでした。ゴルゴダの丘の位置は正確にはわかっていないが、最近の考古学の結論でこの付近であることはほぼ確定的だそうです。街の地下や低い所にある遺跡の発掘現場を見えるようにしたユダヤ人街を通り抜けて、レストランで昼食後、最後の晩餐の部屋やダビデ王の墓を観光。その後マハネー・イフェダー市場を散策、早めにホテルへ帰り夕食、連泊。


●3月11日(木)ホテルを出てパレスチナ暫定自治区との境界の遮蔽壁の入場門の近くでアラブのバスに乗り換えて天井の廊下の上からマシンガンを肩に見張る武装兵の監視の下、厳重なセキュリティーチェックを受けて通過、エルサレムから15Kmほどのベツレヘムでキリスト生誕教会を観光、そこからまた東南5Kmほどにあるダビデ大王の墓が発見された「ヘロディオン遺跡」を観光して再び壁を通過、バスを乗り換えテルアビブへ。イスラエルではより戒律に自由な世俗派の多く住む世界遺産の「白い建築群」を見ましたが私にはなぜこの建物群が世界遺産なのか奇異に感じました。港近くのカルメル市場を散策、公園内でアラブ風のうす焼きのパン、ナンが大量に捨てられていてそれに鳩が群がっている光景とパレスチナ難民の飢餓の報道との違和感を禁じえませんでした。約4000年の歴史のある古代都市ヤッフォは聖書にも登場する古い港町ですが遺跡は丘の上の一部に発掘された跡が少しあるだけで主にオスマントルコ時代の建物を改装されたものが主で、その一角にあるアーティスト街を散策、お日柄が良いのか沢山の花嫁に出会いましたが、当地の習慣なのか、ユダヤ教の習慣なのか?花婿やお付きの少女等と一緒にカメラマン付きで記念撮影の散策をしていました。ギリシャ神話のアンドロメダ姫が怪物の生贄に繋がれたとの伝承のある岩礁を丘の上から眺望、、海岸の散歩道まで降りて港を散策。もう一度バスで丘の中腹の展望スポットの洒落たカフェでティータイムの小休止、市内のレストラン「老人と海」で今回の旅行の最後の夕食。大きな焼き魚(イスラエル名物のセント・ピーターズ・フィッシュだそうです)が一匹丸ごと出てきて私には半分しか食べきれませんでした。早めにベングリオン空港に到着したと思っていましたが話には聞いていましたが本当に厳しいセキュリティー・チェックで同じグループから二人選ばれ何を見たか?何処に云ったのか?荷物は誰が詰めたのか?人から何か貰ってないか?等と二人の間の食い違い等をチェックされ、グループの二人は荷物をあけて全部検査されましたが私はそれには当りませんでした。コリアンエアーKE958便(22:55発)が1時間20分遅れで離陸、帰国の途に、インチョン空港17:30到着、ジェット気流のおかげか実質飛行時間9時間20分で可なり遅れを取り戻し、私はインチョン空港で皆さんと別れ福岡便で乗り換え航空会社の係員が出迎えに来ていてはらはらしながらセキュリティー・セックを受け、コリアンエアーKE781便で福岡空港20:45到着、大分到着は23:30頃で無事旅を終了しました。

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