マサダ




マサダの要塞は死海の水位が低下して北と南とに分かれた場所の西に位置する



イスラエル国内ではエルサレムに次ぐ人気の観光地で大型のロープウエイも完備しビジターセンターも充実している



紀元前120年頃に最初に建設され、後にヘロデ大王が離宮兼要塞として改修、難攻不落を誇ったがローマ軍に攻撃され最後にユダヤ人が籠城した砦。元73年に総攻撃で陥落、自決が宗教上禁止されているので大半が飢死にし残った者も選ばれた10人が皆を殺し、最後の一人が残った9人を殺し自分だけが戒律に背いて自殺、この事実は数名の子女が洞窟に隠れ生き延びて伝えられたといわれている

 

バスの車窓からのマサダマウンテン   「マサダ」とはヘブライ語で「要塞」を意味      鳥瞰図 パンフレットの転載

  

ビジターセンターの入り口    ロープウエイで大半の観光客は登る            しかし徒歩で登る人も多い      

 

             ロープウエイの頂上駅                       頂上駅から山麓駅を眺望

 

遺跡内に全体の模型と宮殿テラスの模型が展示されていました

 

浴室や部屋を再現した模型                  テラス部分を頂上より見下ろす

 

浴室の構造が良く判る遺跡                     壁にはフラスコ画の跡が処々に残っている



要塞の上からは死海が一望できます



宮殿や浴室、見張り台や防御壁の残骸



往年の面影を残す住居部分の壁などが多少復元されていました



要塞の西側の防壁の下にローマ軍の駐屯地跡が見えます



頂上の大部分は崩れていて大きな広場、イスラエル国防軍の入隊式は頂上で行われ、国家への忠誠を誓うそうです

  

ローマ軍が攻撃のためにユダヤ人の奴隷を使役して造った人工の攻撃路とその模様を説明した看板が架かっていました

 

      ローマ軍の駐屯地跡                      防壁は2重構造で壁の間は居住区になっている


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