コーカサス三国 旅行記 (秘境スヴァネティ地方と黒海、カスピ海)


●6月23日 旅行の出発は24日で、集合は成田空港20時30分でしたが所要のため次男が東京の平井に住んでいるので1日前に大分空港発14:25ーSNA090便(ソラシドエアー)ー15:55羽田空港着で上京、次男宅に宿泊

●6月24日 夕方ゆっくり次男宅を出発、平井駅から総武線で船橋まで京成船橋経由で成田国際空港へ19時40分頃到着、空港のレストランで夕食、20時30分に集合場所にてツアーの皆様と合流、カタール航空QR805便に搭乗しましたカタールのドーハへ11時間00分のフライト

●6月25日 カタールのドーハは時差が-6時間のため03:30着、4時間20分の待時間でカタール航空QR974便に乗り換えカスピ海西岸のアゼルバイジャンの首都
バクーへ3時間のフライト、時差が+2時間のため、アブシェロン半島の中央にあるヘイダル・アリエフ国際空港に12:50到着、旧市街の近くのレストランまで約1時間、オイルマネーで潤うバクーは建設ラッシュの感あり思った以上の大都会でした。昼食後、海浜公園の駐車場からカスピ海クルーズの埠頭まで徒歩で移動、明日がアゼルバイジャン国軍の創設記念日とのことで軍用車両がパレードのために並んでいました。撮影しようとしてカメラを向けると警備の兵士に制止されました。クルーズの遊覧船に乗りバクー湾を一周、湾内にもパレードのために軍艦が集結していました。産油国の石油の荷役のせいなのか?海には油が浮いていて虹色です、海上からの眺めで市街の状態が大体把握出来て有益なクルーズでした。制止された軍用車両は駐車場の近くからズームで撮影、次は絨毯博物館を見学、新しい館を建設中とのことで早々に済ませ、旧市街の観光、西の門から城壁内に入り、アリアガ・ヴァイドの人頭像、シルヴァン・シャフ・ハーン宮殿、シャマハ門、乙女の塔(グ ズ ガラスゥ)と廻りました。そのあと公園墓地の 殉死者の小路(シャヒドレルヒヤバヌ)を散策、展望台からバクー湾を一望、海上からと高台からとでバクーの景色を堪能しました。夕食はレストランで済ませ宿泊ホテルのホテル・クラウンにチェックイン。

●6月26日 朝、9:00ホテルを出発、アブシェロン半島の観光、ピンク色の珍しい塩湖マサズィルギュル、油井の林立する中を通り、燃える丘(ヤナルダー)、拝火教寺院アテシュギャーフを廻り、カスピ海の海浜リゾートの広いレストランでケバブ主体の昼食を済ませ、すぐ近くのマルダカン要塞を観光、ヘイダル・アリエフ国際空港からQR976便18:50発、1時間10分のフライト、グルジアの首都トビリシ国際空港に19:05到着、現地ガイドの出迎えを受け宿泊ホテルのホテル・マリオットトビリシにチェックイン。

●6月27日 朝10:00ホテルを出発、ムタツミンダ山の山頂にある至聖三者のツミンダ・サメバ大聖堂を観光、荘厳な雰囲気に浸りトビリシの町並みを見下ろせる広い境内を散策、バスにて山を降り旧市街のムトゥクヴァリ川沿いにある丘の上のメテヒ教会を見学、教会の横には1958年にトビリシ遷都1500年の記念に立てられた騎乗姿のゴルサゴリ像があり、そばからナリカラ要塞やトビリシの母像を眺めました。次にロープ・ウェイでナリカラ要塞に登る予定が大統領の急遽の来場のため一時停止、そのため徒歩で平和橋を渡り旧市街へ向かいました。グルジア正教の総本山シオニ大聖堂、ジュバリス・ママと言うグルジア正教会、クラッシェン教会と言うアルメニア使徒教会、ユダヤ教のシナゴーク、17世紀からある硫黄温泉の大浴場ハマムなどのある旧市街を散策、バスでランチ・レストランへ、昼食のあとナショナル・ミュージャムの美術館でニコ・ピロスマニの絵を見たあと隣接する国立博物館の宝物館では古代コルキス王国の金細工などを鑑賞。再開したロープ・ウェイに乗りナリカラ要塞に登りました。城内に聖ニコロズ教会が建てられているナリカラ要塞はトビリシの市街の景色を今日は快晴で一望に出来ました。しばらく城内を散策、トビリシの母像の処まで往復しました。ホテルに戻り夕食はムトゥクヴァリ川沿いの近郊のレストランで途中停電などのアクシデントもありましたが、民族舞踊などを観賞しながら済ませホテル・マリオットトビリシに 



●6月28日 朝8:30、古都ムツヘタへ向かいました。トルコから流れてくるムトゥクワリ川とアラグヴィ川が合流する地点に位置する小さな町。グルジアのキリスト教化が始まった聖地であり、紀元前3世紀から5世紀にかけて都として栄えた。我々はそのムツヘタが一望出来る丘の上のジュヴァリ修道院を最初に訪問、イスラムからの侵略や破壊から免れたのはこの立地と関係がありそうです。高さ23mで、6世紀に建てられた四葉型(テトラコンチ型)という建築様式でグルジアだけでなく南コーカサス全体の教会建築に影響を与えたグルジア正教の教会。此処からムツヘタの市街が一望出来、スヴェティツホヴェリ大聖堂やサムタヴロ修道院をズームで撮影、丘を降りてムツヘタに入りサムタヴロ修道院を外から眺め、町の中心に位置するスヴェティツホヴェリ大聖堂を観光。その後旧ソ連のスターリンの生地で1883年までスターリンが住んでいた生家のあるゴリに向かいました。途中の道路からは難民用の集合住宅やグルジアの神話の通り神々の沃野を眺めながら、ゴリ市街に入りレストランで昼食のあとのスターリン博物館に。スターリン博物館には関係する膨大な資料が展示されていました。敷地内にはスターリンが子供の頃に住んでいた生家と絶頂期の頃使用していた専用列車の客車がありました。その後クタイシに向かいました、クタイシに近づくと近郊は土器の名産地らしく沿道には沢山のお土産店がありそこで小休止してクタイシ市街に入りましたが市内のホテル・ルチュウリ・パレスが前日の大雨で停電事故で泊まれずに急遽、旧ソ連時代の整備中の広いスパリゾートに変更になりました。市街を通り抜けて遠い郊外のトゥカルトゥボ・スパリゾートホテルにチェックイン

●6月29日 朝8:30、ゲラティ修道院の観光、クタイシ郊外のイメレティアの丘にあり、1510年にオスマン帝国により破壊され後に修復された、中世グルジアを代表する建造物の一つ。南門の建物は修道院全体の入口で修道院を建設したバグラト朝のダヴィト4世墓があります。聖ニコライ教会、聖母マリア大聖堂、聖ゲオルギ教会、鐘楼、王立学校や付属の建物があり、聖母マリア大聖堂の天井のモザイク画やフレスコ壁画は文化的な価値が高く評価されている。次にモツァメタ修道院を観光。ツカルツィテラ川の崖上という立地と雄大な景色の修道院、アラブとの戦いで豪族ムクヘイゼ家の犠牲となった二人の聖人を遺徳を偲び建設された修道院でミサ中とのことで内部は見れませんでしたが一見の価値はありました。クタイシまで降りてリオニ川を渡り対岸のウキメリオニの丘の頂上にバグラティ大聖堂が1952年に始まった保存と再建運動で、1691年オスマン帝国軍の砲撃で、外壁を残し崩壊していた遺跡が可成蘇っていました。市内のリオニ川の川岸のレストランで昼食を採り古代コルキス王国の遺構、バニ遺跡へ。発掘予算不足に加えて市街化のために大半が発掘不能で今までの出土品は大半がトビリシの博物館に展示されていて現地には見るものはあまりありませんでした。トゥカルトゥボ・スパリゾートホテルに連泊

●6月30日 朝8:30、クタイシのバザールを見学、その後クタイシに別れを告げ上スヴァネティ地方のツグディディの街のレストランで昼食を採り、エングリダムで出来たダム湖の湖畔を沢山の養蜂の巣箱を見ながらエングリ川渓谷を遡りました。川の流れは段々急流になり道も急斜面の悪路、登っていくとやがて大コーカサスの雪山が見えてきました。最初に見えてきたのはサルクミリ山(3800m)次にランクワリ山(4000m)が見えるといよいよ大コーカサス山脈です。峠を越えてランタリ村の手前でウシュバ山(4712m)の勇姿がくきりと見え、ランタリ村の小高い丘の上から大コーカサス山脈のテトゥヌルディ山(4858m)連山が手前のレンゲリ村のスヴァンの塔とともに見えてきました。バスの前方にウシュバ連山が見えてくるといよいよメスティア市街です。エングリ川の南岸、川上の北東にウシュバ連山、東にテトゥヌルディ山、正面の斜面にメスティアのスヴァン文化のシンボルでもある林立するスヴァンの塔が俯瞰できる丘の上に宿泊のホテル・テトゥヌルディはありました。18:20分到着、チェックインの後ホテルで夕食、ライトアップされたスヴァンの塔が林立するメスティア市街の眺めを楽しめました。

●7月1日 朝9:00、スヴァン人の社会には「血の復讐」の掟があり、仇から攻撃を受けた時、立籠るために作られた分厚い石造りの塔で4〜5階建てになっているが、私達は対岸の5階建ての塔に登りました。塔は入口がなく梯子で二階から入ります。急な梯子で人一人やっと登れる狭さで途中の階には小さな明かり採りの窓なのか?それとも銃眼なのか?最上階には四方に3個の大きな窓、板葺きの屋根があり、梯子で屋根の上から周囲を見渡せました。塔を降りてウシュグリへ向かう途中のメスティア近郊からはウシュバ山はランタリ村からの姿と違って馬の鞍に見えました。雲に隠れてテトゥヌルディ山(4845m)は見えませんでしたが、分乗した4WDで未舗装の峠を超えたウシュグリ地区の最初の村にもスヴァンの塔、途中にも朽ちかけた塔が散見されるいくつかの村を過ぎて登って行くと、2000m以上の高原となり高山植物の花盛りでした。ウシュグリ村には3つの部落があります、入り口の部落からはシハラ山は手前の斜面に遮られて見えません。川下の部落には清流に架かる橋があり、そこからシハラ山を背景にしたウシュグリ村の川上の部落がよく見えます。ウシュグリ村は高原の清流に沿った牛がのどかに牧場の草を食み、猪豚が遊び、高山植物の花盛りの静かな村でした。川上の部落の民家で自家製のヨーグルトや食材の昼食を食べ、附近を散策、丘の上のひときは高いスヴァンの塔下まで登りウシュグリの景色を堪能、帰りは再び来た道を引き返しライトアップされたスヴァンの塔を眺めながらの夕食、ホテル・テトゥヌルディに連泊

●7月2日 朝9:00、今日は高原地帯のメスティアからエングリ川渓谷を下り、ツグディディの行の時と同じレストランで昼食を採り、黒海沿岸のバトゥーミまでの南下の長距離ドライブ、17:00頃 黒海が見えてきました。バトゥーミの市街地に入る手前の丘の上の植物園を観光。植物園からはウオーターフロントの建物群を眺めることが出来ます。ウオーターフロントの中心部ブルーバード公園の横のホテル・インツーリスト・パレスにチェックイン

●7月3日 朝 出発前1時間、希望者だけでホテル附近の市街を散策、10:00出発してチョロヒ川の支流のアナリスツァカリ川渓谷を遡り、途中マホンッチェ村で12世紀の石橋を見てケダ村の大きな橋の麓の店で訪問先の民家に持参するお土産の西瓜を買って、途中で未舗装の狭い山路を小型バンに乗り換えて登りました。長寿村で孫夫婦と曾孫や玄孫と暮らす99歳で元気なルヒアさんの話を聞き、村民の民族衣装やダンス、民族楽器による民謡などの大歓迎を受け皆さんと昼食の会食。郷土料理が並べられ中央のタマダと呼ばれる長老のリーダーの音頭で何回も自家製のワインで乾杯、我々も子供も交えての楽しい宴でした。帰りはアナリスツァカリ川渓谷を下りチョロヒ川を渡ると、1世紀のローマ文書に記述されている古代ローマのゴニオ・アプサルス要塞を観光してバトゥーミに帰りました。希望者はスーパーで買い物でしたが私はホテルで待ち、ビーチの観光用のタワーで黒海の夕日を楽しみ、其処のレストランで夕食、ホテル・インツーリスト・パレスに連泊

●7月4日 朝8:30、今日はアハルツィヘ行くのですがアナリスツァカリ川を遡りクローを辿る近道は距離は半分ですが難路の山道なので 一旦クタイシまで北へ引き返し、それから南下 有名なミネラルウォーターの湧出する泉のあるボルジョミを観光して、途中の要塞を車窓にアハルツィヘと主要道を辿りました。アハルツィヘではラバティの要塞の観光をして、ホテル・ロムシアにチェックイン、ホテルのレストランでビュッへの夕食

●7月5日 朝8:30、今日はアハルツィヘを出発、グルジアからアルメニアに向かいます。荒涼たる風景が広がるパラヴァニ川渓谷を抜ける地点に要塞が見えてきました。時間がなくて川の吊り橋を渡りヘルティビシ要塞を眺めるだけの小休止、此処から渓谷を離れ高原地帯アハルカラキの街を抜けて国境へ、近郊は高原の湿地帯、底の浅いマダタパ湖畔に農家が散在、牧場が広がりリゾート施設が遠くに見えてグルジア・アルメニア国境に到着、徒歩で国境を超えアルメニアの現地ガイドに迎えられ、アルメニアのシラク地方は1000mを超える高原の花園でした。最初の集落アショッコ村は私にはグルジアと少し違う雰囲気を感じました。湿地帯の水が噴水のように噴出しているアルテジアンの泉の側を過ぎギュムリの街に入るとアルメニアの国旗が目立ちます。ギュムリのホテルのレストランで昼食、大型バスでは坂のカーブで床がつかえるとのことで小型バンに分乗隣村にある美しい平野の中に建っマルマシェン修道院へ。北聖堂、カテドラル、南聖堂と並んでいます。10世紀に建造された修道院で一部は988年から1029年にかけての建造、ガヴィト(回廊)は13世紀になって増築されたがセルジュクトルコに破壊されその後再建された。カテドラルの前面のガヴィットや円形聖堂は失われて今は遺跡となっている。アルメニア使徒教会独特の造りでグルジア正教会と異なりイコノスタシス(聖障)はなく至聖所は一段高い舞台になっている。そのあと一路アルメニアの首都エレヴァンへ向かい途中で遠くに霞む雲に隠れたアラガツ山(4,095m)が見え、反対側にはさらに遠くにアララト山(5,137m)が見えて撮影しようとしましたが薄すぎて撮影不可能。エレヴァンに入ると建物が凝灰岩で造られのが多く独特の色の市街地です。今日7月5日が憲法、国旗、国歌記念日とのことで通りは国旗が林立する中を市街中心部の共和国広場(旧レーニン広場)のホテル・マリオット・エレヴァンにチェックイン、夕食は外のレストランなので着替えてホテルの外に出ると大きな国旗を囲んで軍隊や揃いの国旗のT-シャツを着た大勢の市民のパレードに遭遇しましたがカメラを持っていませんでしたので残念ですがその光景は撮影できませんでした。

●7月6日 朝9:30、明日は水懸け祭りで観光客でも構わずに水を懸けられる恐れがあるから市内の観光地は今日が良いとのことで最初に北側の丘の上の「勝利公園」の観光アルメニアはソ連の一共和国でしたから戦勝国、アルメニア母の像の周りには第二次世界大戦の武器が展示されており戦死した英霊のための慰霊の炎の先が展望台で遠くに霞むアララト山を背景にエレバンの市街が一望出来ました。アルメニア文字考案の聖メスロプ・マシュトツの名を冠した世界有数の蔵書を誇る古文書館マテナダラン(1959年開館) を観光、内部は撮影禁止でしたので写真はありませんが羊皮紙に書かれたアルメニア語の聖書や古文書は見応えがありました。その後共和国広場の正面のナショナル・ギャラリーの国立博物館を見学、此処も撮影禁止、オスマン・トルコによるアルメニア人の大虐殺、ジェノサイドに関する展示は私も詳しく知らなかったので強い印象を受けました。近郊のさくらんぼ林の中でパンとケバブの料理の実演の見れる野外レストランで昼食のあとガルニ神殿の観光、アルメニアに残るヘレニズム時代の唯一の異教の24本の石柱が支える神殿、ローマの太陽神ミトラを祀ったもので歴史的に貴重な建築物ですが17世紀の大地震で崩壊、現在ある神殿は再建された。アザート川の上流の見晴らしの良い丘の上にあり台地の端からアザート川までは急坂の崖になっています。アルメニアはローマによる間接支配を受けていたために王の夏の離宮でローマ風呂などが残っている。次はゲガルド修道院、アザート渓谷の奥の崖の中腹に建つ修道院でゲガルドとはアルメニア語で槍の意味、キリストの脇腹を刺したと伝えられる聖槍の意味で途中の道路脇にはそれを象徴する槍を持つ豹の像がありました。1215年〜1283年にかけて北側に接する岩盤を穿って建設された岩窟修道院で荘厳な雰囲気、尖った窪みが層を成して繰り返すムカルナス形式の天井と明かり採りや多数のハチュカル、壁面のハチュカルの浮き彫り、至聖所の前では子供の洗礼式が挙行されていました。洞窟聖堂の最深部には聖なる泉が湧き出していて信者はそれを汲んでいました。ホテルに戻り、レストランでアルメニア料理の夕食、ホテル・マリオット・エレヴァンに連泊

●7月7日 朝9:00、水懸け祭りの喧騒を避けてトルコとの国境線に近いホルヴィラップ修道院の観光。途中、小アララト山とアララト山を背景に麓に広がる葡萄畑と丘の上のホルヴィラップ修道院を撮影、丘の下の墓地の横の駐車場から修道院まで歩いて登る。キリスト教がアルメニアの国教になった後、聖グレゴリウスが幽閉されていた牢獄の穴の上に教会が建てられた。ホルは「深い」、ヴィラップは「穴」という意味で修道院の入口の横にある建物の床下に地下牢がある。裏の丘の頂上に登り修道院全体を撮影周りの景色を眺めました。エレバンに引き返し近郊のズヴァルトノツの遺跡の観光。エチミアジンの街の聖リプシメ教会を観光、聖女フリプシメが祀られてる教会で618年に建造された初期のこの教会以降、リプシメ式と言うアルメニア教会建築様式が生まれた古典的完成品の域に達した構造をしている文化的に重要な建物。私たちが訪問した時に丁度結婚式が始まりましたキリスト教の本格的な結婚式を見学出来ました。次にエチミアジン大聖堂、アルメニア使徒教のカトリコス(総主教)の居る総本山でアルメニア最古の大聖堂。啓蒙者グレゴリオスはキリストが降臨して金槌で大地を叩く夢を見て、その場所に303年に木造の教会を建てたのが始まり、4世紀初頭に基礎部分が築かれ、その後幾度となく増築が繰り返され、広い敷地内には、カトリコスの住居、神学大学、宗務院、神父たちの居室、博物館、図書館や書庫が併設され沢山の石に刻まれた十字架のハチュカルが点在、聖堂の奥に、聖遺物や十字架などを集めた宝物館があり見学することが出来ました。世界遺産指定で政府が整備に力を入れ新しい壮大な入場門も作られていました。近くに関連のガヤネ教会がありますが時間の関係で観光出来ませんでした。それからホテルに帰りましたがまだ広場の噴水前では水懸け祭りで賑わっていました。近くの民族音楽を実演するレストランまで徒歩で出かけ夕食を済ませてホテルに帰った21時頃でもその騒ぎは続いていました。ホテル・マリオット・エレヴァンに連泊

●7月8日 朝8:00、アルメニアの最終日エレバンからアルメニア唯一最大の淡水湖セヴァン湖への道路沿いのには色々な記念碑を見受けましたが何を意味するものか解りません、そのうちにセヴァン半島の付根から丘の上のセヴァン修道院が見えてきました。元々は島だったのがソ連時代セヴァン湖に流入する川に9箇所のダムを建設、水位が下がって半島となったそうです。我々は朝早かったので観光客は少なかったのでゆっくり観光できました。セヴァン修道院は半島の丘の上に在り、海抜2千メートルなので高山植物の花園、登る途中にはハチュカルが散在、9世紀創建の修道院で17-18世紀に大規模な改修が行われた聖使徒教会と聖母教会の二棟の教会が残っていました。聖母教会は年代を感じさせる黒い石積、一方聖使徒教会は正に破壊された破片の石を組み直したのがありありと見える風情です。あとの付属施設は廃墟のまま、しかし広大な青いセヴァン湖と丘をバックにした景色は一服の絵になります。私たちが帰る頃には大勢の観光客が押し寄せてきました。セヴァン湖をあとにしてヴァナゾルの街を経由、峠を越えてデベド川渓谷を下って行くと帝政ロシア時代には全国の銅の1/4を産出したアラヴェルディ銅鉱山の街に出ます。銅鉱山は現在でも稼働していますが往時ほどの賑わいはないそうです。大きな工場があり白い煙が山頂から立ち上っていました。街を過ぎて反対側の山の上のハフパット修道院を観光。バグラトゥニ朝時代の10世紀後半に着工。11世紀から13世紀にかけて増築されて、現在の姿になった。ハフは「強い」、パットは「壁」の意味する修道院は正に玄武岩で出来た「強固な壁」の建物です。アルメニアで多く見るハチュカル(聖十字架)の中でもハフパットの聖十字架がもっとも有名だそうです。ハフパット修道院を後にしてデベド川渓谷をさらに下り、山上のアクッタラ要塞を眺めながらながらアルメニア・グルジア国境に、アルメニアからグルジアへデベド川の橋を徒歩で渡りグルジアんの現地ガイドと再開、国境から途中のマルネウリの街やトビリシの街の景色を眺めながらトビリシ国際空港へ17:30到着。トビリシ発20:05のカタール航空QR977便に搭乗しカタールのドーハへ4時間のフライト、ドーハは時差が-1時間のため7月9日の午前0:05着。ところが私は61回目の外国旅行でしたが、初めての経験ですが突然喉が嗄れて痛くなり、食事も飲み込めなくなり、水さえも飲み込むと喉に激痛が走りやっと飲み込む有様になりました。

●7月9日 ドーハ発01:50予定のカタール航空QR804便が何時になっても乗機の案内がなく、原因不明で地上係員に尋ねても判らないとの返答、場内放送もないまま遅れに遅れ04:30やっと離陸、カタールもオイルマネーで大都会になっていますし、カタール航空も一流会社と思っていましたがとんでもない、顧客そっちのけの三流会社原因は機材の到着遅れでしたが、地上係員にも顧客にも説明がなくただ待たせるだけでした。熱もなくただ喉の痛みだけでしたが待ち時間はもとより、楽しみにしていた機内食も飲み物も喉を通らない状態で絶食、脱水を恐れてやっと痛みをこらえて水だけを補給しました。フライト時間10時間の予定が11時間かかりやっと20:20成田空港に到着、本来なら17:50到着予定でしたので19:45成田空港発JR3057便で福岡空港経由、JR特急ソニックで大分迄の予約がダメになり、カタール航空手配の成田のホテルに泊まることになりました。しかし久しぶりのホテルの日本食も食べられずにそのまま就寝。           

●7月10日 絶食状態で 成田空港 JAL3051便 09:35発、福岡空港11:40着。博多12:19発 ソニック23号 大分14:37着で旅行を終えましたが、帰宅したその足で耳鼻咽喉科で診察しました。酷い炎症を起こしていて原因不明で喉の菌を培養してみないと判らないので5日ほどかかるとのこと、点滴で栄養補給、取り敢えず痛み止めと対症薬をもらい帰宅、3日ほどで炎症は落ち着きだいぶ良くなりました。5日経って病院に行き結果をこ聞きましたがブドウ球菌の一種が大繁殖をしていて何故こうなったのか?普通喉には繁殖しないものらしく正確な原因は判らないとのことでした。




                                        TOPページへ 





  ナゴルノ・カラバフ紛争    アルメニアとアゼルバイジャンのアゼルバイジャン西部山岳地帯のアルメニア人居住区
ナゴルノ・カラバフ地域を巡る戦争。ソ連邦構成共和国である当地域は人口の94%はアルメニア人でソ連崩壊直前から
アルメニアへの帰属を求め、アゼルバイジャンとの紛争になった。戦争は泥沼化したまま、アルメニアの占領下にある。
ロシアとフランスが仲介した停戦の際の調停案には「アルメニアが占領した同地区をアゼルバイジャン返還」し
「アゼルバイジャンに帰属後、ナゴルノ・カラバフ自治共和国に昇格」とあり、戦争で優勢なアルメニアは納得できず
ナゴルノ・カラバフ地区を占拠したままで依然帰属問題は解決していない。従って両国の国境は閉鎖されてをり
アルメニアにはグルジアから入国しなければアゼルバイジャンからアルメニアには直接入国できない状態にある。