タ・プローム(Ta Prohm )


12世紀末にアンコール王朝のジャヤーヴァルマン7世が仏教寺院として建立し、後にヒンドゥー教寺院に改修されたと考えられている遺跡。東西約1000m南北約700mのラテライトの壁に囲まれた敷地の中にある。 ガジュマルによる浸食が激しく文字通り樹木が食い込んでいる。 修復を担当しているインド政府は修復計画を発表したが、熱帯の巨大な樹木は遺跡を破壊しているのか、それともいまや遺跡を支えているのかという議論が出ている。

 

この遺跡は樹木に覆われた発見当時の様子を残すために現在は樹木の除去などの修復をしていないが状態を保つためのメンテナンスは行われているようだ。

 

遺跡の修復とは、崩れた石材を積み直し、失われた部分は補充、昔の姿を取り戻すこと。しかし、巨木を除去、崩れている石材を元に戻した場合、この遺跡の魅力は半減する

 

遺跡を侵食する樹木。その迫力、自然の生命力をまざまざと見せつけられます。血管のように細くからまる樹木や回廊を押しつぶしそうな樹木。

 

だがこのままだと、遺跡は崩れ去ってしまうだろう。現在、この遺跡の修復方針をめぐって、ユネスコを中心に活発な議論が交わされているらしい。


タ・プローム王と母親を巡る言い伝えがこの付近の村々に残っている。12世紀初頭、アンコールのプレ・ケット・メレア王は美しい娘ポーと恋に落ち息子プロームをもうけた。王は別れ際に指輪と短剣をポーに預け息子が成長して余を訪ねる時はその証明にするよう言い残した。プロームはやがてアンコールに王を訪ね親子は再会を果たした。アンコールで成長したプロームは数年後生まれ故郷に帰って来た時、若くて美しい母親を実母と知らずに恋に落ち求婚する。しかし息子であることを知っているポーはひたすら拒絶するがプロームは聞きわけない。そこで二人は寺院を競争で建て、速く完成させた方の主張を受け入れることにした。母親のポーには地元の女性、プロームには男性が加勢することになった。女性たちは一計を案じ燭台の灯を使って明けの明星を造り高々と闇に掲げたために男たちはまだ夜明け前と思いこみ眠り続けその間に女たちは寺院を完成させてしまい、プロームは初めてポーを母親と認めた


アンコールトム 、アンコールワット、 パンテイアイ・スレイ 、ロリオス 、 以外のアンコール遺跡群 トンレサップ湖  、アラカルト   遺跡の衛星写真


TOPページへ