クルヤ



15世紀にオスマン・トルコを撃退したアルバニアの国民的英雄スカンデルベクゆかりのサリサルティク山麓のクルヤの街の衛星写真



クルヤ城の付近の衛星写真                            スカンデルベク像



サリサルティク山の斜面に張り付いているようなクルヤの街



街の道は細くバスは途中に駐車、城塞跡には歩いて行きます。 途中からの写真 左がクルヤ城の見張台 右が博物館



城塞の一角に1982年博物館が完成、スカンデルベク出身のカストリオティ家の暖炉や遺品、関連資料、オスマン・トルコとの戦いの絵などを展示



博物館の屋上からクルヤの街が一望出来ます



博物館の屋上からのサリサルティク山の眺め



博物館の屋上からのクルヤ城の城壁

  

    博物館の内部は撮影禁止、しかしエントランスの群像は撮れました           オスマン・トルコ時代の裕福な民家の民俗博物館      

     

オスマン・トルコ時代の裕福な民家をそのまま展示したもの

  

                     民具の一部                         イスラム教のベクタシュ派の小さなモスク


アルバニア民族的英雄、スカンデルベク(Skanderbeg、1405年〜1468年)本名はジェルジ・カストリオティでアルバニアの貴族カストリオティ家に生まれた。父のジョン・カストリオティは1423年頃バルカン半島で勢力を広げるオスマン・トルコ帝国に抗しきれずに臣従、息子の彼は人質としてオスマン・トルコ帝国の騎士となりイスラムに改宗し、東ローマ帝国やセルビア、ハンガリーとの数々の戦いに従軍、戦功をあげ、その勇敢さにアレクサンドロス大王のトルコ語イスケンデル・ベイ(宇宙戦艦ヤマトのイスカンダル、またアフガニスタンのカンダハルもアレクサンドリアの別名、古代マケドニア王国のアレクサンドロスを指すアラビア語やペルシア語の人名で、Aliskandarだが、語頭のalはアラビア語の定冠詞なので、Iskandar と呼ばれるようになったようであるがsとkが入れ替わった理由は不明。ベクは大王を意味するトルコ語。またカンダハルは東に移りガンダーラに転化したとの説もある)にちなみスカンデルベクの称号を与えられた。1437年頃、父に与えられた封土のアルバニアに帰国、オスマン・トルコ帝国の支配下でアルバニアの軍司令官となった。しかし1443年にオスマン・トルコ帝国に反旗を翻し、その後ロ−マ・カトリックに再改宗してヴェネツィア共和国、ナポリ王国やローマ教皇の支援を受けアルバニアの北部を支配、1450年ムラト2世と1466年メフメト2世の派遣したオスマン・トルコの大軍を撃退することに成功(その戦いの様子が博物館の壁一面に勇壮に壁画として描かれています。楠正成の千早城の戦いに似た戦法だったようです)、1468年にスカンデルベクが病死した後もアルバニアは12年間にわたって独立を維持し、合計25年間にわたって独立を保ったが、1480年、最終的にオスマン・トルコ帝国によって併呑された。スカンデルベクは生涯25回戦をして2回敗れただけ、後23回は勝戦だそうです。ちなみにアルバニアの通貨単位レクはアレクサンドロスのレクだそうです。彼はアルバニア国内だけではなく、ヨーロッパのキリスト教国にとってイスラムのオスマン・トルコ帝国のヨーロッパへの拡大を遅らせた英雄と見なされ、銅像はヨーロッパ各国の都市に建てられているとのことです。

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