アルバニア民族的英雄、スカンデルベク(Skanderbeg、1405年〜1468年)本名はジェルジ・カストリオティでアルバニアの貴族カストリオティ家に生まれた。父のジョン・カストリオティは1423年頃バルカン半島で勢力を広げるオスマン・トルコ帝国に抗しきれずに臣従、息子の彼は人質としてオスマン・トルコ帝国の騎士となりイスラムに改宗し、東ローマ帝国やセルビア、ハンガリーとの数々の戦いに従軍、戦功をあげ、その勇敢さにアレクサンドロス大王のトルコ語イスケンデル・ベイ(宇宙戦艦ヤマトのイスカンダル、またアフガニスタンのカンダハルもアレクサンドリアの別名、古代マケドニア王国のアレクサンドロスを指すアラビア語やペルシア語の人名で、Aliskandarだが、語頭のalはアラビア語の定冠詞なので、Iskandar と呼ばれるようになったようであるがsとkが入れ替わった理由は不明。ベクは大王を意味するトルコ語。またカンダハルは東に移りガンダーラに転化したとの説もある)にちなみスカンデルベクの称号を与えられた。1437年頃、父に与えられた封土のアルバニアに帰国、オスマン・トルコ帝国の支配下でアルバニアの軍司令官となった。しかし1443年にオスマン・トルコ帝国に反旗を翻し、その後ロ−マ・カトリックに再改宗してヴェネツィア共和国、ナポリ王国やローマ教皇の支援を受けアルバニアの北部を支配、1450年ムラト2世と1466年メフメト2世の派遣したオスマン・トルコの大軍を撃退することに成功(その戦いの様子が博物館の壁一面に勇壮に壁画として描かれています。楠正成の千早城の戦いに似た戦法だったようです)、1468年にスカンデルベクが病死した後もアルバニアは12年間にわたって独立を維持し、合計25年間にわたって独立を保ったが、1480年、最終的にオスマン・トルコ帝国によって併呑された。スカンデルベクは生涯25回戦をして2回敗れただけ、後23回は勝戦だそうです。ちなみにアルバニアの通貨単位レクはアレクサンドロスのレクだそうです。彼はアルバニア国内だけではなく、ヨーロッパのキリスト教国にとってイスラムのオスマン・トルコ帝国のヨーロッパへの拡大を遅らせた英雄と見なされ、銅像はヨーロッパ各国の都市に建てられているとのことです。
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