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石 勝 線 夕 張 駅


1892.11.1  北海道炭鑛鉄道夕張駅として開駅
1906.10.1  国鉄買収
1909.10.12 現在につながる「国有鉄道線路名称」が制定され、室蘭線の部夕張線の所属となる
1981.10.1  石勝線開通に伴い、函館線の部石勝線(支線)の所属となる。
1985.10.13 2代目夕張駅に移転。営業キロ1.3km短縮
1990.12.26 3代目夕張駅に移転。営業キロ0.8km短縮

 わずか5年の間に2回も駅が移転し、結果として2.1kmも短くなってしまいました。
 1892年10月1日の開駅の際は当然のことながら石炭の積み出しが目的だったので、炭鉱に近いところに開駅しました。夕張の市街地は夕張駅から1.3km下った本町(2代目夕張駅のあったところ)でしたが、そこには夕張鉄道の夕張本町駅があり、鹿ノ谷で国鉄と接続していました。

 国の石炭政策により、昭和30年代より閉山が相次ぎ、夕張駅は石炭積み出しの機能を失い、夕張鉄道も1971年11月15日に鹿ノ谷−夕張本町間を廃止しました。

 1980年に初代夕張駅近くに町興しの一環として「石炭の歴史村」がオープンしましたが、国鉄の便が恐ろしく悪いため同村へのアクセスとしてはほとんど機能せず、一方では夕張駅を市街地に近い本町に移転して欲しいとの要請があり、1985年10月13日、2代目夕張駅に移転しました。駅舎は当時あちこちに登場した廃車になった有蓋貨車を利用したもので、他では車輪を外してそのまま地べたに置いていましたが、夕張駅では車輪がついており、ホームに貨車が止まっているといった感じでした。なお、初代駅舎は引き続き「石炭の歴史村」管理ステーションとして使われました。

 更に1990年12月26日、2代目夕張駅から800m鹿ノ谷寄りにMt.レースイスキー場やホテルレースイがオープンするにあたって再び夕張駅が移転し、3代目がオープンしました。こちらは小さいながらきちんとした駅舎が建っています。このため町の中心部に行くのにもバスに乗り継がなければならなくなり不便になった、いくら町興しだからってレースイに媚を売ることは無いではないかとの声があったようです。


3代目夕張駅舎。後に見えるのはホテルレースイ



初代:1892年11月1日−1985年10月12日





 作者が初めて訪れたのは1985年2月19日で、とりあえず石勝線新夕張−夕張間に乗り、この日は夕張で泊ることにしたため札幌駅の案内所で夕張駅前の「サイクリングターミナル 黄色いリボン」を紹介してもらいました。当時で素泊まり3,000円くらいだったような気がします。この時はとりあえず先を急ぎ、後で改めて夕張を訪れ、そのときに駅舎の写真もきちんと撮ろうと考えていましたが、2月23日に斜里YHに泊まったら翌日雪祭りがあり、更に翌日の観光ツアーに参加したため結局3連泊してしまい、夕張訪問はまたの機会の宿題となりました。2年後の1987年2月19日に再訪したら2代目に移転していました。やはりそのときに撮っておかないと後では撮れないことがあるなと思いました。

 なお初代駅舎は1994年9月6日に再訪した際も管理ステーションとして使われており、貨物ヤード跡は駐車場になっていました。ホームも残っています。




2代目:1985年10月13日−1990年12月25日






 初代のところにあるとおり、夕張を再訪したのは1987年2月19日で、同時に石炭の歴史村も訪問しましたが、楽しみにしていたSL館は残念ながら冬季休館で、営業していた石炭博物館を訪問しました。
 ローカル線の小駅ならともかく、一応夕張市の代表駅である夕張駅がこれではちょっとひどすぎると思いますが、地元にしても北海道総局にしてもローカル線の小駅としか認識していなかったのかもしれません。
 2代目駅舎?は1994年9月6日に石炭の歴史村を訪れた際、村内に展示してありました。ドアの位置がずれていますが、最初にドアがあった所が鉄板で塞がれているので間違いないでしょう。右上の写真のキハ69900というのはいったい何なのでしょうか。鉄道の知識が無い人が適当に書いたのでしょう。第一、鉄道車両の場合は「形式」と書きます。右下の写真の銘板の苗穂工場昭和60年改造と言うのは駅舎への改造と言う意味でしょうか。この種の貨車は1984年までに廃車されているはずですから。