九州トップ北海道東北関東中部近畿中国・四国民鉄


漆 生 線


国鉄監修「交通公社の時刻表」1985年6月号より転載



1913.8.20  筑豊本線下鴨生−漆生間開通
1920.5.10  下鴨生−漆生間旅客営業開始と同時に漆生線に改称
1966.3.10  漆生−下山田間開通
1986.4.1   全線廃止

 全線直通は朝の2往復のみ、夕方の1往復は漆生乗換えで、結局全線通しで乗れるのはこの3往復だけで、後は下鴨生−漆生間の区間列車のみです。ここも上山田線同様、建設の歴史が関わっています。

 当初は筑豊本線の貨物支線として開通しましたが、1920年に旅客営業を開始した際に漆生線に改称されています。
 1955年、石炭合理化対策の一環として苅田港が石炭積出港に決定したため1953年の鉄道敷設法別表改正で登場した「110ノ3 福岡県油須原ヨリ上山田ヲ経テ漆生附近ニ至ル鉄道」に沿って漆生から田川線(現平成筑豊鉄道)油須原までの新線「油須原線」が計画され、1966年3月10日、漆生−嘉穂信号場(大隈−下山田間に新設)が漆生線として、上山田−日田彦山線豊前川崎間が上山田線として開通したものの、当時すでに石炭産業が斜陽になっていたため建設の意義が失われましたが、それでも豊前川崎−油須原間の延長工事を続け、レールも敷けて完成間近の1980年に予算凍結により工事が中止され、第三セクターの引き取り手も無く残骸が放置されることとなりました。

 国鉄再建法による特定地方交通線選定の際は、基準期間の輸送密度が492人で営業キロが50km未満なので両端で他の国鉄線に接続しているにもかかわらず第1次廃止対象に選定されるはずでしたが、鴨生駅付近に団地が出来るため輸送密度が516人になるので第2次廃止対象にまわされました。とは言うもののこんな不便なダイヤでは乗る人も無く、おまけにここも西鉄バスのほうが便利、そしてやはりマイカーが主流とあっては鉄道にとって明るい材料は何一つ無く、1986年4月1日、第2次線のトップを切って廃止されました。

 2002年11月、全国の合唱団が集まってのイベントが福岡市及び北九州市であったので行ってきました。その際宮田線に続いて漆生線の廃線跡をたどったのですが、下鴨生から鴨生駅跡まで来たところで暗くなってしまい、おまけにきちんと下調べをしていなかったので道が分からなくなり、鴨生で打ち切りました。次回来るときにはきちんと調べて、上山田線及び油須原線とセットで回りたいと思います。

乗車 1985.8.7下山田→下鴨生 2002.11.28下鴨生−鴨生間廃線跡に沿ってマイカーで走行。この時撮影した下鴨生及び鴨生の写真は後日追加します。


駅名  起点からのkm 開駅年月日


(下鴨生)  0.0


鴨生    1.2 1913.8.20貨物駅
          1920.5.10旅客営業開始




漆生     3.6 1913.8.20貨物駅
          1920.5.10旅客営業開始







才田    5.1 1966.3.10




(嘉穂(信)) 6.2



(下山田)  7.9


九州トップ北海道東北関東中部近畿中国・四国民鉄