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天 北 線1(音威子府−浜頓別)
天北線2(山軽−南稚内)


1914.11.7  宗谷線音威子府−小頓別間開通
1916.10.1  宗谷線小頓別−中頓別間開通
1918.8.25  宗谷線中頓別−浜頓別間開通
1919.10.20 名寄線名寄−下川間開通に伴い宗谷本線に改称
1919.11.1  宗谷本線浜頓別−浅茅野間開通
1920.11.1  宗谷本線浅茅野−鬼志別間開通
1921.10.5  名寄線全通に伴い名寄線の部が新設され、支線がなくなったため宗谷線に改称
1922.11.1  宗谷線鬼志別−稚内(現南稚内、1939.2.1改称)間開通で全通
1922.11.4  石北線新旭川−愛別間開通に伴い宗谷本線に改称
1930.4.1   北見線に改称(幌延回りの手塩線を宗谷本線に編入)
1961.4.1   天北線に改称
1989.5.1   全線廃止

 最果てへの鉄道のサブルートとして宗谷本線音威子府で右に分岐し、浜頓別までは内陸部を突っ切り、浜頓別からはオホーツク海に沿って北上し、南稚内で宗谷本線に合流するルートで、宗谷本線と比べると線路規格が丙線でカーブも多く線路条件は悪かったです。途中の小頓別で旧歌登町営軌道、浜頓別で旧興浜北線と接続していました。小石−曲淵間は17.7kmと途中に信号場をはさまないケースでは在来線最長の駅間距離でした。

 稚内への連絡ルートとして1898年8月12日に北海道官設鉄道として旭川−永山間、同年11月25日に蘭留まで、1899年11月15日に和寒まで、1900年8月5日に士別まで、1903年9月3日に名寄まで開通しました。1905年4月1日に北海道官設鉄道は国鉄に移管され、1909年10月12日には今につながる国有鉄道線路名称が制定され、天塩線の部天塩線(1回目)となりました。1911年11月3日に恩根内まで延長され、1912年9月21日に宗谷線の部宗谷線に改称されました。1912年11月5日に音威子府に達した後は天北線ルートで建設されましたが、猿払原野の開拓と、幌延回りは天塩川の水運が利用出来たためでした。 一方幌延回りは稚内全通の1週間後の11月8日に天塩線(2回目、1924.6.25天塩北線の開通に伴い天塩南線に改称)音威子府−誉平(現天塩中川、1951.7.20改称)、1923年11月10日に問寒別まで開通し、1924年6月25日に天塩北線稚内−兜沼、1925年7月25日に天塩南線が幌延まで、1926年9月25日に幌延−兜沼が開通して全通し、全線を天塩線(3回目)に改称しました。1928年12月26日に宗谷本線稚内−稚内港(現稚内、1939年2月1日改称)が延長されました。1930年4月1日(マイルからメートル法に変わった日)、勾配の少ない幌延回りを宗谷本線にすると同時に、浜頓別回りを北見線と改称、1961年に天北線と改称されました。もしこのときルート変更が行われなかったら、幌延回りすなわち天塩線の方が廃止になっていたと思います。このような気の毒なケースは九州の添田線があります。

 宗谷線が宗谷本線になったのに一度宗谷線に逆戻りした後再び宗谷本線に改称されていますが、線路名称のつけ方として支線のないいわゆる「一人本線」は本線と名乗らないと言うルールがあったようです。一人本線がなくなったのは1963年12月18日に四国の中村線窪川−土佐佐賀間が開通した際土讃線を土讃本線に改称した時です。その後特定地方交通線廃止に伴い宗谷本線、石北本線、釧網本線、留萌本線、日高本線、室蘭本線、高山本線、豊肥本線、久大本線の一人本線が出現しましたがそのまま本線を名乗っています。室蘭本線以外は地方交通線というのが…。
 また天塩線も宗谷本線絡みで3回登場し、1935年6月30日開通の後の羽幌線となる幌延−天塩間(1936.10.23遠別まで延長)が天塩線を名乗っています。同じ線名が4回も登場するのは珍しいのではないでしょうか。
 北見線も1942.10.1日網走本線野付牛が北見に改称されており紛らわしいので天塩と北見の1字ずつを取って天北線と改称されました。

 1961年10月1日のダイヤ改正で札幌−稚内間の急行「天北」が設定され、最終日まで運転されました。他に廃止された線区で最終日まで急行が走っていたのは筑肥線博多−姪浜間だけだと思います。

 国鉄再建法による特定地方交通線選定の際にも基準期間の平均輸送密度が600名だったため第2次廃止対象に選定されましたが、長大路線であること、豪雪地帯であることから承認が保留されましたが、その後バス代替輸送に問題なしとして追加承認されました。1人あたりの平均乗車距離が50km近くあり、30kmを超えるため廃止対象から除外すべきとの意見がありましたが、急行「天北」がたまたま天北線を経由しほとんどが全線乗るために表れた数字だとして、これを除くと30kmを下回るため除外されませんでした。JR移管後の1989年5月1日に廃止となりました。

 最初中頓別のところに入れたSL「49645」は寿近くの「中頓別町営寿公園」にあることが分かりました。厳密に言うと駅跡ではありませんが、寿のところに移しました。

乗車 1985.2.15南稚内→音威子府、1985.2.16音威子府→南稚内、1985.2.19音威子府−浜頓別往復、1987.2.18南稚内→音威子府。
1999.8.24沿線をマイカーで走行


駅名   起点からのkm 開駅年月日


(音威子府)   0.0


上音威子府   5.4 1914.11.7




小頓別    15.6 1914.11.7




上頓別    20.6 1916.10.1




恵野     23.2 1956.5.1仮乗降場
            1987.4.1正駅




敏音知    27.1 1916.10.1




現在は道の駅「ピンネシリ」になっており、天北線のモニュメントもあります。




周麿     31.5 1956.5.1仮乗降場
            1987.4.1正駅




松音知    34.5 1916.10.1




上駒     37.4 1955.12.2仮乗降場
            1987.4.1 正駅




中頓別    42.4 1916.10.1





現在はバスターミナルになっていて、内部は鉄道記念館になっており、外部には車両も展示されています。




寿      46.6 1955.12.2仮乗降場
            1987.4.1 正駅





旧駅近くにオートキャンプ場の中頓別町営寿公園があり、そこに保存されています。




新弥生    48.1 1959.11.1仮乗降場
            1987.4.1 臨時駅:開設期間4月1日〜11月30日
            1987.12.1正駅:開設期間撤廃




下頓別    51.6 1918.8.25




常盤     54.8 1955.12.2仮乗降場
            1987.4.1 正駅




浜頓別    61.4 1918.8.25





現在はバスターミナルになっており、鉄道記念館もありますが、ここが鉄道の駅だったという感じはしませんでした。




天北線2(山軽−南稚内)


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