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大 社 線


1912.6.1   出雲今市(現出雲市)−大社間開通
1990.4.1   全線廃止

 国鉄再建法による旧国鉄特定地方交通線廃止の最後に廃止された路線で、1990年4月1日、当線と鍛冶屋線がバス転換、宮津線が北近畿タンゴ鉄道に転換されました。

 倉吉線と同じ1912年6月1日に開業していますが、こちらは軽便鉄道法による軽便線ではなく当初より正式な鉄道として開業したのは、当時は出雲大社参詣客輸送の役割は非常に大きかったからでしょう。
 1914年4月、一畑軽便鉄道(現一畑電気鉄道)出雲今市(現電鉄出雲市)−雲州平田(現平田市)間が開通し、1928年4月、北松江(現松江温泉)が全通しました。さらに1930年2月、川跡−大社神門間(現出雲大社前)が開通しました。

 1968年の赤字83線に名を連ねましたが、お客が少ないからというよりは、距離が短いうえ出雲大社までかなり離れている(バスで5分かかる)ため合理化の一環として廃線にしてバスか一畑電鉄に任せたいというのが理由ではないでしょうか。同年10月のダイヤ改正の時刻表によると、下り20本、上り18本の列車があり、うち下り7本、上り2本が大阪・京都・名古屋から(へ)の直通列車でした。下りの直通の本数が多いのは、ひとまず出雲大社へ参詣してから日御碕や一畑薬師等を回り、松江から帰路につく観光客の流れが多かったからでしょう。
 その後マイカーやバスに押されたためか列車本数や直通列車が減少する中、1978年10月のダイヤ改正で大阪からの夜行急行「だいせん5号」が20系ブルートレイン化され、しかも出雲市から普通125レとして大社まで直通したため、通学の女子高生が喜んだとのエピソードがあります。

 国鉄再建法による特定地方交通線選定の際には基準期間の平均輸送密度が2,661名だったため第1次・第2次廃止対象にこそ選定されなかったものの、1986年の第3次廃止対象には輸送密度が4,000人未満であることと除外基準に該当しなかったことから選定され、1989年9月末までに結論を出し、1990年3月末までに廃止するという規定(日本国有鉄道改革法等施行法(1986年法93)附則23条5項)によりJR西日本が継承し、結局バス転換となりました。旧大社駅の社殿を模した荘厳な駅舎は大社町の文化財として保存されています。

 JR西日本から大社の駅名が消えたため、出雲市から山陰本線で西に2駅行った神西(じんざい)駅を1993年3月18日に出雲大社口と改名したものの、出雲大社まで10キロ以上ある上、路線バスもタクシーの客待ちもなく、タクシーを呼んだとしても2,600円以上かかるため間違って降りた客からの苦情が殺到し、結局1999年3月13日、出雲神西に再度改名されるというお粗末な結果に終わりました。


乗車 1988年8月15日


駅名 起点からのkm 開駅年月日


(出雲市)  0.0 


出雲高松  3.5 1912.11.15(大正元年)


 


荒茅    5.0 1958.4.1




大社    7.5 1912.6.1(明治45年)




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