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標 津 線



国鉄監修「交通公社の時刻表」1984年12月号より転載


1933.12.1  標津線として厚床−西別(後に別海)間開通
1934.10.1  標津線として西別−中標津間開通
1936.10.29 計根別線として標茶−計根別間開通
1937.10.30 計根別−根室標津間開通で全通 全線を標津線に改称
1989.4.30  全線廃止

 ほとんど原野の中を走る、いかにも北海道のローカル線といった感じの路線で、別海付近ではパイロットファーム(大規模機械農場)が国策で推進され、牛が線路傍まで寄って来るという光景が見られました。しかしその一方で人口密度が低く、集落も駅周辺のみで20kmにわたって人煙を見ない区間さえありました。その一方で2線のジャンクションの中標津は空港もある交通の要衝で、同時に大型百貨店や大病院も集まる根室支庁の実質的な経済の中心地でした。

 根釧原野の開拓を目的として1922年改正鉄道敷設法別表「149 根室国厚床附近ヨリ標津ヲ経テ北見国斜里ニ至ル鉄道」に沿って厚床から着工され、1934年10月1日に中標津に達しました。1933年、同別表に「150 根室国中標津ヨリ釧路国標茶ニ至ル鉄道」が追加され、計根別線として標茶から着工され、1937年に根室標津に達しました。
 一方、斜里(現知床斜里)−根室標津間も1937年に工事線になり、1938年に斜里−越川間を着工し1940年までには一部でレールが敷かれたものの戦争で工事中止となりレールを撤去しました。この時に越川駅の先に幾品川第一橋梁(越川橋梁)という竹の骨組みの陸橋が残り、現在は斜里町が管理、保存していて、1998年に文化庁の有形登録文化財に登録されました。地元では「渡らずの橋」と呼ばれているそうです。
 戦後、1953年に再び測量が行われ1957年11月10日斜里ー越川間が根北(こんぽく)線として開通したものの、営業成績はまったく振るわず貨物の廃止、斜里駅への管理委託等の合理化を行いましたが、赤字ワースト1を続け、赤字83線に名を連ね、1970年11月30日に廃止、わずか13年の命でした。

 標津線のほうも1968年の赤字83線に名を連ね、国鉄再建法による特定地方交通線選定の際にも基準期間の平均輸送密度が590名だったため第2次廃止対象に選定されましたが、長大路線であること、豪雪地帯であることから承認が保留されましたが、その後バス代替輸送に問題なしとして追加承認され、JR移管後の1989年4月30日に廃止となりました。

乗車 1985.2.26  1993.8.13レンタカーで厚床−根室標津間を走行


現在も残る幾品川第一橋梁(越川橋梁)。左の写真は斜里から見て右側の橋梁。右の写真は斜里から見て左側の橋梁。もともとはつながっていましたが、国道建設の際分断されました。それでも全面的に破壊しなかったのは壊すには惜しかったからだと思っていたのですが、国土交通省で土木技術者として、主に道路橋梁の施工管理に従事しておられる方よりメールで以下の通りご教示いただきました。

この橋梁は、コンクリート構造物として由緒あるものなのです。
旧国鉄登録文化財にしてされていて、解体される前は10連アーチでした。
橋長147m・高さ22m、マンションに換算して9階建ての高さです。
1940年、戦時中に建設されたこともあり、鉄筋は使用されず、9階建てのマンションが無筋で建築されることを考えると怖いですね。

コンクリートの強度劣化による、トンネルや橋梁での破片の剥落が各所で伝えられるようになった昨今に
長期耐久コンクリート構造物のお手本として越川橋梁は、資料によく紹介されます。




駅名 起点からのkm 開駅年月日


(標茶)   0.0


多和    2.7 1961.4.10 仮乗降場
          1987.4.1  駅




泉川   12.7 1944.5.1  仮信号場
          1950.10.1?客扱開始
          1957.3.25 駅




光進   17.3 1957.5.1  仮乗降場
          1967.4.1  駅




西春別  22.5 1936.10.29





上春別  27.7 1963.7.1




計根別  31.9 1936.10.29




開栄   36.1 1961.10.1 仮乗降場
          1987.3.31 駅




当幌   40.7 1937.10.30




(中標津) 47.1


上武佐  55.2 1937.10.30




川北   60.1 1953.12.8




根室標津 69.4 1937.10.30 駅舎写真はトップページにあります。

 さすが国後島を望む国境の町で、あちこちに「返せ!われらの領土」の看板がありました。右下の北方領土間は残念ながらこの日は休館日で、再訪したのは1993年8月、すなわち廃止後の写真を撮影したときでした。





中標津   0.0 1934.10.1




協和    5.4 1957.12.25




春別   12.1 1934.10.1




平糸   18.2 1967.4.1




別海   23.7 1933.12.1西別
          1976.12.1改称




奥行臼  36.0 1933.12.1




(厚床)     47.5


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