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岡 山 臨 港 鉄 道


国鉄監修「交通公社の時刻表」1984年12月号より転載

芳田連合町内会」の「臨港鉄道の歴史」より転載 大元−岡南泉田間は臨港グリーンアベニューとして整備(岡南新保−岡南泉田、2005.11.7)
1951.8.1   大元−岡山港間開通
1973.1.1   岡南本町−岡山港間旅客営業廃止
1984.12.30 全線廃止

 岡山から宇野線で1駅目が大元で、下りホームの反対側に1両か2両のディーゼルカーが止まっていましたが、これが岡山臨港鉄道でした。
 もともとは戦争中、岡南地区にあった軍需工場への専用鉄道として計画されましたが、戦時特例により引込み線とした方が許可が早く降りるので引込み線として着工されましたが、終戦のため工事が中止されました。後の南岡山駅付近にあった「汽車製造株式会社」への引込み線として1947年2月に開通しましたが、1950年に同社工場が閉鎖されると運行停止となり、同和鉱業、クラレ等4社と岡山県、岡山市が出資する第三セクター「岡山臨港鉄道」として1951年8月1日に再スタートを切りました。国鉄が出資していないので「臨海」ではなく「臨港」鉄道になりました。
 貨物主体で、旅客はおまけでしたが交通が不便だったので結構利用されました。同和鉱業への精錬所には片上鉄道の柵原から山陽本線経由で硫化鉄鉱が運び込まれました。
 しかしながらモータリゼーションの影響と工場地帯の主力が水島地区に移ったことで利用は低迷し、1972年末限りで岡南元町−岡山港間の旅客輸送を廃止しました。この頃は旅客列車は1日4往復でしたが、その後オイルショックと岡山市内の渋滞が激しくなったのと1974年に岡南泉田駅近くに岡山芳泉高校が開校したため旅客が増え、水島臨海鉄道等から中古のディーゼルカーを購入しました。 岡山まで乗り入れれば便利なので岡山市議会が何度も取り上げましたが国鉄は線路に余裕がないと応じず、1983年には岡山電気軌道清輝橋線を大元まで延長して相互乗り入れする案も出ましが非現実的だとして実らず、おまけに1984年2月1日の国鉄貨物合理化により大元での貨物扱いが廃止されたため、1984年12月29日限りで全線廃止されました。12月31日限りでなかったのは29日が土曜だったためと、御用納めに合わせたのでしょう。鉄道廃止後も倉庫業、自動車運送業等を中心に存続し、社名もそのままでしたが、2001年1月に社名を「渇ェ山臨港」に変更し、2004年に岡山県、岡山市が持っていた株式を民間に売却し、第三セクターではなくなりました。

 国鉄は線路容量に余裕がないと言いましたが、新幹線岡山開業の1972年から瀬戸大橋開通の1988年まで宇野線には快速と普通が1時間に各1本ずつで、それに貨物が走る程度ですから乗り入れが不可能とは思えないのですが、本音を言えば電車主体の宇野線に異質な岡臨の気動車が乗り入れてくるのを嫌ったのではないか、宇野線内で故障でもされたら困るといったところではないかと思います。岡山電気軌道との乗り入れにしても、線路幅はどちらも国鉄と同じ1067ミリですが清輝橋から大元への延長に加え、岡臨を電化した上電車に置き換えればならないので非現実的といえば非現実的ですが、もし実現していればLRTのはしりになったでしょう。

 汽車会社は正式には「汽車製造株式会社」といい、1896年に鉄道の父、井上勝によって大阪の安治川口に設立されました。戦前まで優秀な機関車を多数製造しましたが、1948年のE10を最後に国鉄のSL製造は終了し、その後は電車製造に転換しましたが国鉄に依存していたため1960年代後半に国鉄車両の新製が激減すると苦境に立たされ、おまけに粉飾決算が発覚したため事実上倒産し、1972年にかつてのライバルだった川崎重工業に吸収されました。
 岡山工場ではどんな車両が製造されていたのかはっきりしないのですが、線路から離れていたので客車や貨車を製造していたのではないかと思います。これなら艀(はしけ)で水運が可能ですから。事実同和鉱業片上鉄道の貨車が製造されました。1950年といえば戦前からの木造客車の鋼体化改造が行われていたのでこの時期に工場を閉鎖したのは解せないのですが、大阪や東京の工場でSL製造が終了して設備が遊休化したのでそちらに集約したのではないかと思います。工場閉鎖後の開駅なのに「汽車会社前」とつけたのは工場跡地がまだあったからでしょう。

 作者が岡臨を初めて見たのは大学1年生だった1983年8月、大元から2駅先の妹尾に住んでいる親戚(母の弟)を訪れたときでした。両親の実家が愛媛県にあるので宇野線には何度も乗ったのですが、いつも大元通過の快速に乗ったので気付きませんでした。1年後の1984年9月にも九州旅行の帰りに妹尾の親戚に行ったのですが、まさか廃止になるとは思っていなかったので乗りませんでした。10月21日発売の「鉄道ジャーナル」84年12月号に岡臨を年末で廃止との記事が出たので驚き、妹尾の親戚に聞いたところ新聞記事から探してくれて12月29日が最終と教えられ、冬休みに乗りに行きました。後の予定から1日前の12月28日に乗り、最初は南岡山の車両基地に行こうと思ったのですが立ち入り禁止だと言われたので大元に引き返しました。今考えると外からでも写真を撮っとけばよかったと思います。

 2005年11月4日から6日まで全国の合唱団が集まってのイベントが広島で開催され、その際に可部線可部−三段峡間、同和鉱業片上鉄道、下津井電鉄、岡臨の廃線跡をたどり、片上鉄道吉ヶ原駅跡で片鉄保存会が行う動態保存車両の運転会に行く計画を立て、千葉から車で行きました。 2005年11月7日、午前中下津井電鉄を探訪した後、岡臨へ回り、高架になった大元駅からスタートし、岡南泉田駅跡直前の国道30号線のところまでが臨港グリーンアベニューとして遊歩道になっており、そこから先は道路拡張に使われ、岡山芳泉高校に沿って左カーブし、岡山ふれあいセンターを過ぎて浦安本町まで来ると右手に岡臨の福田倉庫が見えるとそこが岡南福田駅跡で、さらに進むと「浅野家」の緑の看板のあるビルに突き当たるのですが、右手に細い道が伸びており、これが線路跡でここから住宅地になり並木町駅跡があります。 しばらく進むと福島小学校があり、その反対側が岡南元町駅跡です。広い道路に出ると反対側が岡臨本社で、102号ディーゼル機関車が保存されています。さらに港のほうに進み道路が行き止まりになるところが岡山港駅跡で、ここにも岡臨の倉庫群があります。岡臨探訪を終えた後、妹尾の親戚に寄り、その日の夜に千葉に向けて帰路に着きました。

 
元夕張鉄道の7000形。ヘッドライトの下から生えているラッパ(タイフォン)がユーモラスです。なんとなく東武熊谷線の2000形に似てますが、ほぼ同時期(1954〜55年頃)の製造と思われますし、この頃湘南形フェースがはやっていました。後ろに見えるのは下電(下津井電鉄)バスの車庫で、現在はここが下電の本社です。

 
7000形の前位運転台。非貫通なので中央に寄っています。液体式ですがブレーキとマスコンの位置が逆なのは以前の所有者の夕張鉄道が貨物主体だったので、SLにあわせたのでしょうか。 7000形の後位運転台。よくこのスペースに詰め込んだものと思います。手ブレーキ(パーキングブレーキ)がこちらにもある(普通は前位のみ)のは、夕張鉄道は勾配がきつかったので、エマージェンシーブレーキの意味合いもあったのでしょう。

1984年12月28日乗車 2005年11月7日廃線跡に沿ってマイカーで走行
(大元)
大元起点0.0km
1910.6.12  国鉄宇野線開通と同時に鹿田駅として開駅
1925.3.6   改称
1951.8.1   岡山臨港鉄道が乗り入れ
1984.12.30 岡山臨港鉄道廃止、再び国鉄単独駅に
1984年12月 1983年8月 「臨」の字が略字になっています

1983年8月 元江若鉄道の5000形 1983年8月 5000形の運転台 ブレーキレバーの下にシフトレバーが見えるので機械式(MT)ですね。

2005年11月
高架化された現在の大元駅 奥が大元駅。しばらく高架橋に沿って臨港グリーンアベニューが続きます。

大元−岡南新保間
ここで宇野線は右にカーブします。 奥が大元側。一見すると駅跡の雰囲気がありますが、ここに駅はありませんでした。左側に公園があります。

この歩道橋で国道2号線から人絹道路に迂回する道を越えます。上の「昭和59年時の岡山臨港鉄道概略図」の「富田」のあたりです。

岡南新保
大元起点1.4km
1951.10.20 臨港新保として開駅
1960.8.1   改称
1984年12月


2005年11月 臨港グリーンアベニューの中にモニュメントとして残されており、岡臨で唯一駅跡とわかるものです。
1984年の写真と見比べると、左の家の窓の形が同じなので、当時からあるのでしょう 読みは「しんぼ」のはずですし、第一、新保と泉田から「岡南」の文字が省略?されています。

この踏切警報機のモニュメントはからくり時計で、1日4回動くのだそうです。 踏切跡には本物の警報機が残されていますが、線路のほうを向いて建っています。

岡南泉田
大元起点2.3km
1951.8.1臨港泉田として開駅
1960.8.1改称
1984年12月 スズキの店の右側に見える高架橋は国道30号線の立体交差で、かつて貨車の入れ替えが行われていたため30号線を塞いでしまうので立体交差にしたそうです。


2005年11月
国道30号の手前で臨港グリーンアベニューは終わりです。 右の岡山スズキの前が駅跡です。上の写真と比べると出世?したものです。

岡南福田
大元起点4.4km
1951.8.1臨港福田として開駅
1960.8.1改称
1984年12月


2005年11月 岡臨の福田倉庫になっています。このあたりの地名は「浦安本町」で近くに浦安小学校もあり、なんだか千葉へ帰って来たような気がしました。

並木町
大元起点6.1km
1951.8.1臨港藤田として開駅
1960.8.1岡南藤田に改称
並木町への改称日不明
1984年12月

岡南元町
大元起点6.6km
1968.4.  開駅  
1984年12月


21歳当時の作者。後は福島小学校。
意外に大きな駅舎でした。


駅舎は岡山港寄りにありました。

2005年11月 駅跡から岡山港方面に向かって進んで大きな通りを渡ると渇ェ山臨港の本社があり、102型ディーゼル機関車が保存されています。
 

南岡山
大元起点6.9
1951.8.1汽車会社前として開駅
1960.8.1改称
現在の新三井製糖の工場に汽車会社の岡山工場があったのだと思います。

岡山港
大元起点8.1
1951.8.1開駅
2005年11月 岡臨の倉庫になっています。
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