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能 登 線 1(穴水−宇出津)
能登線2(羽根−蛸島)


1959.6.15 穴水−鵜川間開通
1960.4.17 鵜川−宇出津間開通
1963.10.1 宇出津−松波間開通
1964.9.21 松波−蛸島間開通で全通
1986.5.25 第三次特定地方交通線承認
1987.5.1  のと鉄道株式会社設立
1988.3.25 のと鉄道に転換
2005.4.1  廃止

 国鉄再建法による赤字ローカル線の第三セクター転換路線のうち、初めての廃止路線となりました。これ以前に民鉄転換路線の青森県の弘南鉄道黒石線(川部−黒石間)が1998年4月1日に、下北交通(旧大畑線、下北−大畑間)が2001年4月1日に廃線になっています。能登線廃止後ものと鉄道は七尾−穴水間で営業を続けるので、先の青森県の2線も含め、会社が消滅したケースはありません。下北交通はバス会社として営業しています。

 能登線は、1922年鉄道敷設法別表に「68 石川県穴水ヨリ宇出津ヲ経テ飯田ニ至ル鉄道」として盛り込まれ、更に1962年に「68ノ2 石川県飯田ヨリ蛸島ニ至ル鉄道」が追加されました。 1922年当時七尾線は津幡−七尾−矢田新(矢田新は1917年4月15日に七尾港に改称、七尾−七尾港間は1984年2月1日廃止)が開通しており、七尾−輪島間は1882年鉄道敷設法に基づいて建設が決定しており、1925年12月25日に和倉(現和倉温泉)まで、1928年10月31日に能登中島まで、1932年8月27日に穴水と順次延長され、1935年7月30日に輪島まで全通しました。 ここにもルート争いがあったようで、1922年鉄道敷設法別表に「67 石川県羽咋ヨリ高浜ヲ経テ三井付近ニ至ル鉄道」が規定されています。高浜は羽咋からほぼ真北の羽咋郡志賀町にあります。

 鉄道敷設法には盛り込まれたもののなかなか建設が始められませんでした。JTB時刻表の創刊号の「鉄道省運輸局編纂 汽車時間表」1925年4月号によると、七尾港から能登中島・中居・能登飯田間で丸中汽船会社の航路があり、七尾港−能登飯田間30海里(約55km)を1日2往復、所要約4時間50分〜5時間半で結び、運賃は3等1円50銭、2等1円95銭でした。
 「鉄道省編纂 時間表」1940年10月号では省営自動車(後の国鉄バス→西日本JRバス)奥能登本線および小木線が開業しており、穴水−能登飯田間を下り9本、上り10本、(他に能登宇出津−能登飯田間の区間便2往復)所要約2時間50分、1円38銭で運行していました。海岸沿いに丸中汽船が就航していたこと、1930年12月に国鉄バスが登場したことによりバスで充分という考えがあったのかもしれません。

 戦後になってローカル線ブームの中で建設が始まり、上記のとおり開通し、東海道新幹線開通および東京オリンピック開幕を間近に控えた1964年9月21日に全通しました。
 この間、赤字が予想される新線の営業収支を改善するため、1960年に開通した鵜川−宇出津間、指宿線(現指宿枕崎線)山川−西頴娃間、越美北線南福井−勝原間、岩日線(現錦川鉄道)川西−河山間に実キロの1.5〜1.6倍の割増キロを適用しましたが、1961年に新線建設補助特別措置法が成立し国が補助金を出すことになったため、同年5月20日で割増キロは廃止されました。

 感心するのは駅密度の高さで、61.1kmの間に穴水を含めると29駅があり、しかも立戸の浜(→沖波)以外は恋路を含めすべて開業時からあり、のと鉄道転換後に新設されたのも七見ただ1つでした。能登線建設時には全国的に気動車化が進んでおり、乗降が見込めそうなところには駅を設置したからでしょう。事実開業当初からすべて気動車で運行されていました。 戦前には原則として駅間は3マイル(約4.8km)あける事になっていたようで、ガソリンカーが投入されたところでは千葉県の東金線福俵のようにガソリンカーのみ止まる駅が新設され、戦争による石油不足でガソリンカーの運行が停止されると駅も休止などと言うこともあったそうです。戦後になって気動車が大量投入されると駅が新設されたり、北海道では正式の駅でない仮乗降場が大量に設置されました。

 しかしながら、能登線が全通した頃はモータリゼーションが進行中であり、道路整備が進むにつれ乗客は減少しました。1968年9月の赤字83線にはまだ全通4年しか経っていないのに早くも名を連ねたものの、廃止に向けての地元との話し合いが進展しないうちに1972年7月に「日本列島改造論」の田中角栄内閣が発足し、廃止の話はうやむやになってしまいました。この頃の1971年から73年にかけてSL列車「ふるさと列車おくのと号」が運転されました。

 1980年の国鉄再建法による特定地方交通線廃止では、基準期間の1977〜1979年度の平均輸送密度が1日1kmあたり2045人だったため第1次・第2次特定地方交通線には選定されなかったものの、1986年の第3次特定地方交通線には選定されました。1986年2月22日に関係各市町村長が県庁に集まった際、県から第3セクター化が示されました。 「能登の振興」に当たっては鉄道が必要と言うことと、JR転換後では転換交付金等の優遇措置が受けられない(JR化に当たって、1990年3月31日までに転換すればいいことになった)との判断が働きました。同年3月5日には高知県の中村線(→土佐くろしお鉄道)、愛知県の岡多線(→愛知環状鉄道)とともに早期承認を陳情、同年5月27日にこの3線が先行承認されました。その後に協議はスムーズに進み、1987年5月1日にのと鉄道株式会社が設立され、1988年3月25日にのと鉄道能登線に転換されました。

乗車1984年5月3日、2005年3月22日




駅名  起点からのkm 開駅年月日


(穴水) 0.0 1932.8.27 七尾線能登中島−穴水間開通に伴い開駅
        1959.6.15 穴水−鵜川間開通
        1988.3.25 のと鉄道転換に伴い同鉄道部分はのと穴水に改称
        1991.9.1  七尾線和倉温泉−輪島間のと鉄道移管に伴い、穴水に改称



1984年5月





2005年3月


左隣の駅名の上の段の能登三井が消されていますが、4月1日以降は中居も消されてしまいます。

中居 5.3 1959.6.15






比良 7.6 1959.6.15
JR西日本湖西線にも同名の駅がありますが、あちらは「ひら」と読みます。






鹿波 10.5 1959.6.15




駅は高台にあり、すぐ脇にこの廃屋があります。 左上の駅名表の後ろから見るとこんな感じですが、ここにホームがあるようには見えませんね。

甲 14.3 1959.6.15
JR西日本関西本線にも「かぶと」駅がありますが、「加太」と書きます。
かつてはここと東京都国立市の「中央郵政研修所」に2両しか残っていない郵便車「オユ10」が保存されていましたが、能登線廃止に伴い、残存区間の七尾線「能登中島駅」に移転しました。








沖波 17.0 1960.7.20 立戸の浜(仮乗降場、夏季のみ営業)
        1987.4.1  立戸の浜(臨時駅、7月、8月のみ営業)
        1988.3.25 改称。正駅、通年営業化



左の駅名標の裏は・・・





前波 18.1 1959.6.15






古君 19.9 1959.6.15





駅は海岸からかなり奥に入っており、駅から海岸沿いの道路に出るには、このような狭いところを通らねばならず、川に落ちないかと冷や冷やものでした。






鵜川 22.9 1959.6.15

1984年5月





2005年3月






七見 24.1 1995.3.17 のと鉄道が新設した唯一の駅です。






矢波 25.6 1960.4.17 「波」のつく駅が3駅連続します。




波並 27.8 1960.4.17

1984年5月





2005年3月






藤波 30.0 1960.4.17




宇出津 32.7 1960.4.17

ここにのと鉄道本社がありましたが、廃線により穴水に移転しました。






能登線2(羽根−蛸島)



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