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名 寄 本 線 1(名寄−渚滑)
名寄本線2(潮見町−遠軽、中湧別−湧別)

1915.11.1  湧別軽便線遠軽−社名淵(後の開盛)間762mmで開通
1916.11.7  湧別軽便線遠軽−社名淵間1,067mmに改軌
1916.11.21 湧別軽便線社名淵−下湧別(後の湧別)間開通
1919.10.20 名寄線名寄−下川間開通
1920.10.25 名寄線下川−上興部間開通
1921.3.25  名寄東線中湧別−興部間開通。名寄線を名寄西線に改称
1921.10.5  上興部−興部間開通で全通。名寄東線、名寄西線を合わせて名寄線に改称
1922.9.2   湧別軽便線を湧別線に改称
1923.11.5  渚滑線開通に伴い名寄線を名寄本線に改称
1932.10.1  石北線旭川−野付牛(現北見、1942.10.1改称)全通に伴い湧別線遠軽−下湧別間を名寄本線に編入、名寄−紋別−遠軽間及び中湧別−下湧別間となる。
1989.5.1   全線廃止

 国鉄・JRに32あった本線のうち、唯一全線廃止になりました。本線と名のつく路線で廃止になったのは旅客列車が走っていた線に限定すると、枝線の廃止は1994年5月16日の函館本線砂川−上砂川間、部分廃止は1997年10月1日の信越本線横川−軽井沢間、部分第三セクター化は同じく信越本線軽井沢−篠ノ井間、2002年12月1日の東北本線盛岡−八戸間があり、2004年には鹿児島本線八代−川内間が予定されています。JR四国は1988年6月1日に「四国旅客鉄道株式会社線路名称」を公示した際、予讃本線、土讃本線、高徳本線、徳島本線の本線の呼称を廃止し、すべて○○線に統一しました。

 名寄本線は1932年10月1日に廃線時の線路形態になりましたが、その建設の歴史には石北本線が深く関わっています。
 1912年10月5日、根室本線池田−網走(後の浜網走、1984.2.1廃止)間の網走線(後述の湧別軽便線開通に伴い網走本線に改称)全通に続き、同年11月18日、湧別軽便線野付牛−留辺蕊間が軌間1,067mmで、1914年10月5日に留辺蕊−下生田原(現安国、1946.3.1改称)が762mmで、1915年11月1日に下生田原−遠軽−社名淵間が762mmで開通し、後の名寄本線の一部が登場しました。
 留辺蕊−遠軽−社名淵間が762mmで開通したのは常紋トンネルが難工事だったためで、湧別軽便線社名淵−下湧別間の開通に先立ち改軌されました。
 常紋トンネルに限らず、北海道の土木工事は戦後に労働基準法が出来るまで囚人や全国から集めたいわゆる「タコ労働者」を劣悪な労働条件で消耗品として酷使し、多大な犠牲者を出しました。この点については「常紋トンネル ホームページ」に詳しく出ていますので参照してください。
 名寄−興部−中湧別間は1892年制定の「北海道鉄道敷設法」の予定線に、「天塩国夸与呂ヨリ北見国網走ニ至ル鉄道」が規定され、これは名寄本線および湧網線が該当し、前者はこれに沿って建設が進められました。

 1921年10月5日の全通後は網走方面へのメインルートとして函館−野付牛間に寝台車つきの長距離列車が運行されたほどでしたが、1932年10月1日に石北線が中越(2001.7.1廃止)−白滝間の開通を最後に全通すると、とって代わられました。同時に湧別線は解体され、遠軽−野付牛間は石北線に、遠軽−下湧別間が名寄本線に編入されました。名寄本線が本線なのに石北線が本線でないのは支線がなかったからで(線路名称では全通と同時に石北線の部石北線として制定)、1961年4月1日に網走本線北見−網走間、網走−浜網走間(貨物線、1984.2.1廃止)を吸収すると同時に支線として相生線(1985.4.1廃止)を抱えることとなったため石北本線に改称しました。残る池田−北見間は根室線の部池北線となり、1989年6月4日北海道ちほく高原鉄道に転換されました。

 網走へのメインルートの役割が失われ、モータリゼーションの影響もさることながら、人の流れの分水嶺が一ノ橋−上興部間と沼ノ上−旭間の2箇所にあり人の流れに合っていないこと、ダイヤが不便で、特に旭川方面に向かう場合名寄や遠軽で長時間待たされる等で利用が少なく、本線を名乗っていながら他の特定地方交通線と実態はまったく変わりありませんでした。また1982年の1人あたりの平均乗車距離は32.8kmでした。それでも1982年のデータで駅間輸送密度が名寄−下川間で約900人、興部−豊野間が約700人、渚滑−紋別間が1,100人弱、中湧別−遠軽間が1,200〜1,300人台と宗谷本線、石北本線に接続する両端および渚滑線が合流する渚滑−紋別間が突出していましたが、他の区間は400〜500人台でした。そしてそれもほとんどが通学の高校生でした。

 急行は札幌−名寄−紋別−遠軽間の「紋別(急行区間は札幌−興部)」と名寄(旭川発は興部行き)−紋別−遠軽−旭川間の「大雪1・2号(急行区間は遠軽−旭川間)」で、名寄本線内の急行区間は「紋別」の名寄−興部間のみでした。大雪1・2号(1985年3月13日までは大雪1・4号)は降雪期以外はキハ22or24or40の単行でしたが、作者が乗ったときはキハ27+キハ22の2両編成でした。これは1エンジン車では降雪期は排雪抵抗が強く、単行ではダイヤが守れないための措置です。1986年秋にキハ56を両運転台化したキハ53型500番台に置き換えられて通年単行運転が可能になったと思ったら、11月のダイヤ改正で廃止されました。同時に「紋別」及び札幌−留萌−羽幌間急行「はぼろ」(札幌−深川間併結)も廃止され、北海道の特定地方交通線で急行が走るのは天北線のみになりました。

 支線の中湧別−湧別間は1日たった2往復と、1984年4月1日に1日1往復だった清水港線(清水−美保間)が廃止されたあとは播但線姫路−飾磨港間(1986.11.1廃止)と並ぶ少なさで、更に1981年4月1日に旅客営業が廃止された福知山線塚口−尼崎港も2往復でしたから、1日1往復か2往復の路線が大都会の片隅と北海道の過疎地帯の両方に存在すること、都会のほうは3線とも線名・駅名に港が付くのが面白いですね。結局貨物輸送がメインで旅客輸送はついでだったからで、貨物が無くなれば必要無くなったからでしょう。

 このような状況でしたから、国鉄再建法による特定地方交通線選定の際は基準期間の輸送密度が894名だったため第2次廃止対象候補となりましたが、厳冬期のバス輸送に不安が残るとして1984年6月に承認が保留されましたが、1985年8月に追加承認されました。承認が保留されたのは沿線に高校・大学が25校あり、学生生徒の輸送にも不安があったようです。
 JR移管後の1989年5月1日に廃止になり、名士バス及び北紋バスに転換されました。

 1994年9月8日、レンタカーで網走から湧網線跡に沿って北上し、中湧別から遠軽まで往復し、更に湧別まで往復して渚滑に向かいましたが、中湧別が道の駅になっていたのと、渚滑がほとんど現役時代のまま残っていたほかはほとんど駅の痕跡が残っていませんでした。もっともこのときもろくに下調べをせずヤマ勘で走ったためでしたが。夕方の5時に紋別から上川町の層雲峡YHを予約したら「今どこにいるんですか」と聞かれたので「紋別市です」と答えたら驚いていました。渚滑から旧渚滑線跡に沿って上川に向かいました。なお渚滑以北では下川が鉄道記念館になっていたり、興部が道の駅になっているそうです。

乗車 1985.2.17名寄→遠軽、2.18遠軽⇔興部、2.22遠軽→中湧別、2.23中湧別⇔湧別、1987.2.24中湧別→名寄
1994.9.8遠軽→渚滑、中湧別⇔湧別をレンタカーで廃線跡に沿って走行

駅名 起点からのkm 開駅年月日

(名寄) 0.0


中名寄 5.8 1947.9.21仮乗降場
              1950.1.15正駅


上名寄 9.7 1919.10.20


矢文 12.1 1956.10.30仮乗降場
           1959.11.1 正駅


岐阜橋 13.8 1956.10.30仮乗降場
            1959.11.1 正駅


下川 16.5 1919.10.20


二ノ橋 21.4 1947.12.25仮乗降場
             1950.1.15 正駅


幸成 25.0 1956.4.30仮乗降場
          1987.4.1 正駅


一ノ橋 27.9 1920.10.25


上興部 38.9 1920.10.25


西興部 45.2 1921.10.5瀬戸牛
           1961.3.20改称


六興 48.8 1953.10.22仮乗降場
       1987.4.1正駅


中興部 52.2 1921.10.5


班渓 55.3 1957.12.3仮乗降場
         1987.4.1正駅


宇津   58.6 1921.10.5


北興 64.3 1957.11.1仮乗降場
         1959.11.1正駅


興部 67.8 1921.3.25

右下の時刻表は1987年2月現在で、すべて普通列車です。22時10分発633D遠軽行きは旭川始発、7時35分発624D旭川行きは遠軽始発で共に旭川−名寄間は快速で、1986年11月に廃止された急行「紋別」の名残を残しています。左側の空白は1985年7月に廃線になった興浜南線のスペースです。
 
 

旭ヶ丘 69.1 1956.9.1秋里(仮乗降場)
          この間移転・旭丘に改称(仮乗降場)
          1981.7以前改称(仮乗降場)
          1987.4.1正駅


豊野 73.0 1947.2.11仮乗降場
        1950.1.15正駅


沙留 77.7 1921.3.25


富丘 81.4 1956.9.1仮乗降場
        1987.4.1正駅

渚滑 88.9 1921.3.25
 


1994年9月7日。駅舎はバス待合室として使われ、待合室には出札カウンター・荷物カウンター・キヨスク跡が残っていました。構内には島式ホームや跨線橋等が残っており、線路が撤去された以外は現役時代の姿をとどめていました。1997年の時点では島式ホームや跨線橋が撤去されて広場になってゴルフ練習場として使われたそうです。現在は駅舎も撤去され、新しいバスターミナルが建設されたとのことです。
 
 
 
 

名寄本線2(潮見町−遠軽、中湧別−湧別)

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