北海道トップ東北関東中部近畿中国・四国九州


三菱石炭鉱業大夕張線



1911.6.21  大夕張炭礦専用鉄道清水沢−二股(南大夕張)間開通
1939.4.20  三菱鉱業清水沢−大夕張炭山間開通
1969.10.1  三菱大夕張炭礦に譲渡
1973.12.15 三菱石炭鉱業に改称
1973.12.16 南大夕張−大夕張炭山間廃止
1987.7.22  全線廃止

 北海道に最後まで残った客扱い民鉄で、もともとは専用鉄道として開業し、正式に地方鉄道法の認可を受けたのが1939年4月20日ではないかと思います。なお、当時の起点は清水沢から400メートルほど離れた新清水沢で、1947年1月15日に国鉄清水沢駅に統合されています。

 列車は1日3往復で、朝1往復夕方2往復でした。いずれも客車と石炭車の混合列車のはずでしたが、作者が廃止直前の1987年2月に乗った際は南大夕張から清水沢へ戻る6列車が客車だけでした。すでに全部の列車で輸送するほどの出炭量がなかったのでしょう。客車はオハ1(1909年鉄道作業局新橋工場製)とスハニ6(1913年鉄道院大宮工場製)の古強者2両で、後者は3軸ボギー台車のTR70をはいていました。車内にはだるまストーブが設置されていますが、国鉄DD13と同型のDL−55にはSGがなく、当然のことながら冬に暖房しないわけにはいきません。この関係で定員が夏と冬で異なっていました。北海道では国鉄にもストーブ列車が多かったのですが、幹線はともかく深名線等のローカル線では輸送量が少ないので混合列車にせざるを得ず、しかも入換の関係で貨車を機関車の次に連結する必要があり、貨車には蒸気暖房管が貫通していないため客車に蒸気を送れないからでした。それも1970年代半ばには貨物の廃止とDC化でストーブ列車はほとんど消えましたが、1980年代まで混合列車が残った釧網本線では、「五光式独立温気暖房器」と称する軽油を燃料として温気を電動送風機で客室に送る、いわゆるファンヒーターのような暖房機が使われていました。
 運賃が清水沢から遠幌までが40円、同じく南大夕張まで60円と国鉄最低運賃の半値以下(1986年9月1日改定で東京・大阪の山手線及び大阪環状線と電車特定区間が120円、それ以外が140円、現在のJR三島会社は160円)でした。これはもともと石炭輸送専用線である上、沿線住民もほとんどが三菱石炭鉱業の従業員及びその家族だからどちらかというと社内の福利厚生的な要素が強かったからでしょう。

 作者が初めて訪れたのは1985年2月20日の朝で、このときは時間の都合で乗るのは無理なので、せめて列車だけでも見ようと清水沢へ行きました。1987年2月19日に乗車した際は16時46分の5列車で到着し、17時57分の6列車で清水沢へ戻りました。1時間の滞在で戻れるなかなか効率的なダイヤでした。

 その後1987年6月21日に石炭輸送が廃止され、7月21日限りで廃止になりましたが、廃止のことがほとんど知らされておらず、夏休みに渡道して初めて廃止を知ったケースが多かったようです。岐阜県岐阜市の酒井誠さんのHP「ロコのページ」の「夕張の黒ダイヤ」によると、7月22日に芦別鉄道を訪れた際に昨日限りで廃線になったことを聞いたとのことです。それにしてもこんなに早く廃止許可が下りるものかと思ったのですが、もともと専用鉄道に近い上、沿線住民もほとんど三菱石炭鉱業の関係者なわけですから石炭輸送がなくなってしまえば運ぶ人もいなくなるわけですから問題なかったのでしょう。私も2月に乗っておいて本当によかったです。このとき乗り損ねたらもう2度と乗れなかったのですから。実際、1984年5月に北陸へ行った際、北陸鉄道小松線(小松-鵜川遊泉寺)に乗らなかったら1986年5月1日に廃止になってしまいました。

 廃止後の様子ですが、清水沢の一番本屋に近い大夕張線ホームは線路の部分が埋め立てられて駐車場になったそうです。終点の南大夕張は駅舎こそ撤去されたものの、ホームはそのままで6両の車両が留置されていたものの荒れ放題で、1999年ナハフ1がついに横転してしまったとのことですが、同年12月に夕張市が復旧作業を行いました。「三菱大夕張鉄道保存会」がこの貴重な車両の復旧及び維持活動を行っています。

乗車 1987年2月19日




起点の清水沢は国鉄→JRの共同使用で、三菱石炭鉱業が一番本屋側の線路を使い、国鉄ホームへは跨線橋を渡ります。/国鉄DD13そっくりのDL−55




車両番号の前にわざわざ「NO.」を付けるのが何ともいえませんね。ここにもスリーダイヤがついています。/さすが三菱系の会社なのでメーカーも三菱重工業でした。「DHL」のHは液体変速機の意味だと思います。電気式なら「DEL」になるのでしょう




カタカナの後の数字が1つで、しかも2段に分けて書くというのはなんとなく貨車っぽいですね/テールライトがありませんが、どうせ全線1閉塞、1日3往復なので追突される心配もなく必要ないのでしょう




スハニ6の定員表示。冬は4人分の座席を撤去してストーブを置きますが、車内に固定しないで夏は降ろすところが律儀ですね/形式は「スハニ1」ですが、スハニ1〜5もあったのでしょうか?全検を1986年9月に受けていますが、これが最後の全検で、1987年7月22日以降は放置されてしまいました。



オハ1も同様です/全検標記が上のスハニ6と書体等がまったく違いますが、書いた人が違うのでしょうか。



客車内の様子。背ずりが木というのが何ともレトロですね。右側にストーブの煙突が見えます/これが今ではほとんど見かけなくなった「だるまストーブ」です。下のほうが赤くなっていますが、石炭が燃えているときはストーブ本体も鉄を火で焼いたときのように赤くなります。


駅名 起点からのkm 開駅年月日


清水沢 0.0 1947.1.15


遠幌 4.1 1942.8.1




南大夕張 7.6 1939.4.20




列車は客車と石炭車の混合列車で、手前が客車で奥が石炭車です。/屋根の上に雪が積もっていないのは、おそらく最近雪下ろしをしたのでしょう。便所の屋根の雪は積もったままです。




駅舎は高台にあり、ホームから長い連絡通路を通ってたどり着いたところに三菱の「スリーダイヤ」をあしらった駅名標がありますが、本来は表口につけるべきものだと思ったのですが、地元以外の人にとってはこちらが玄関なのでしょう/都会の通勤電車じゃあるまいし…と思ったのですが、やはり時刻が決まっている以上守るのが当然で、そういう習慣を身に付けないと社会に出てから困るでしょう。それと夕張行きの接続時間が短く、あまり遅れると国鉄から苦情が来るからではないでしょうか




列車は1日3往復で、南大夕張から清水沢へ行き、折り返して戻って来るダイヤになっています。/こんなことが出来るのも、列車が1日3往復しかないので暇な上、定期券を買うのは従業員の子供の高校生がほとんどだからでしょう。


北海道トップ東北関東中部近畿中国・四国九州