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松前線

1937.10.12 福山線木古内−渡島知内間開通
1938.10.21 渡島知内−碁盤坂(廃止時千軒)間開通
1942.11.1  碁盤坂(廃止時千軒)−渡島吉岡間開通
1946.12.15 渡島吉岡−渡島大沢間開通
1953.11.8  渡島大沢−松前間開通で全通、松前線と改称
1988.2.1   全線廃止。

 線路名称のいたずらで廃止になった路線です。江差線が1977−1979年の平均輸送密度が2,474人だったため第1・2次廃止対象に選定されず、松前線が木古内−松前間でやはり平均輸送密度が1,398人だったため第2次廃止対象に選定されました。もし松前線が五稜郭−松前間で江差線が木古内−江差間であったなら江差線が廃止されたはずでした。1979年の木古内−江差間の駅間輸送密度のうち最高は上ノ国ー江差間の911人ですから平均すれば750〜800人くらいではないでしょうか。その江差線も本来なら第3次廃止対象に該当するのですが除外条件のピーク時片道1000人以上輸送に該当したため選定されませんでした。実際、五稜郭−茂辺地間の1979年の平均輸送密度は6,078人でした。もっとも、仮に除外条件には該当しなかったとしても、青函トンネル(海峡線)と接続するので将来の需要が見込めるということで四国の内子線同様選定されなかったでしょう。

 1922年鉄道敷設法別表に「129 渡島国上磯ヨリ木古内ヲ経テ江差ニ至ル鉄道及木古内ヨリ分岐シテ大島ニ至ル鉄道」が規定されたのが松前線のルーツで、1936年11月10日に江差線が全通したのに続き、松前線側も福山線として木古内−渡島知内間に続き渡島知内−碁盤坂(廃止時千軒)間が開通し、太平洋戦争中に松前のマンガン鉱を運び出そうとして1942年に延長工事に着手し、11月1日に渡島吉岡まで延びたもののその後は戦後に持ち越されました。1946年12月15日に渡島吉岡−渡島大沢間が開通したのはほとんど路盤が完成していたからでしょう。その後は戦争で破壊されたり疲弊した施設の復旧で手一杯でしたが、1952年のローカル線建設ブームの中で工事が再開され、1953年11月8日松前まで全通し、同時に松前線に改称しました。

 国鉄再建法により第2次廃止対象に選定されたのは、前述の輸送密度のほか、除外条件の普通旅客の平均乗車距離30km以上で輸送密度1,000人以上に29.8kmとわずかに30kmに届かなかったためです。そこで地元では乗車運動を繰り広げ、1983年には普通旅客の平均乗車距離が32.2kmとなり除外条件に該当することになりました。しかしながらその後6ヶ月毎のチェックで30kmを下回った時期があったため恒久的なものと認められなかったこと、バス転換では基金(転換交付金約15億円から初期投資を差し引いたもの)の金利等で何とかやっていけるのに対し、第三セクター転換では7年後に基金(同)が1億円を割りさらに約1億6千万円の赤字が残るとの試算になったためバス転換が決定し、1988年2月1日に廃止、函館バスに転換されました。

 参考資料の停車場変遷大事典国鉄・JR編Uによると、松前線の各駅は国鉄からJRへの承継の際の「基本計画『確認できず』」とありました。JR北海道に承継された未転換の特定地方交通線は松前線のほか、幌内線、歌志内線、天北線、名寄本線、池北線、標津線の7線ですが、基本計画が確認できなかったのは他には幌内線のみでした。幌内線はJR化の時点ですでにバス転換が決定していましたし、松前線も事業基本計画提出期限の1987年6月30日までにバス転換が決定したため盛り込まれず、歌志内線は当時かなりの石炭を輸送していましたし、残りのいわゆる長大4線については承認が遅れたためいずれも転換の方向が未定だったためとりあえずJR北海道の営業路線として盛り込んだのでしょう。
 この「事業基本計画」は日本国有鉄道改革法等施行法(1986年法律第93号、以下「施行法」)3条2項の規定に基づくもので、同法第3条1項で承継計画(日本国有鉄道改革法(1986年法律87号)第19条第5項により国鉄が作成して運輸大臣の認可を受けた分割民営化の実施計画)に基づきJR各社が引き継いだ営業線について鉄道事業法(1986年法律第92号、以下「事業法」)第3条1項に基づく第1種鉄道事業免許を受けたものとみなし、続いて施行法3条2項で事業法第4条第1項第6号に規定する事業基本計画を1987年6月30日までに運輸大臣に提出することになっていました。これには、路線名、区間、キロ程、免許種別(第1〜3種)、施設の概要、駅の名称、所在地、取扱範囲、路線概要図が書かれ、路線名のあいうえお順にバインダーに綴じられている物です。

 松前線廃止からわずか1ヵ月半後の1988年3月13日、青函トンネルが開通しました。当初の計画では渡島福島駅付近から松前線に合流させる計画だったようですが、新幹線と共用して木古内付近で分岐させることとなったため木古内まで新線を建設して江差線に接続させることになりました。松前線の廃止問題とは無関係だったのですが、ちょうど時期が一致したため青函トンネルと引き換えに廃止されたと地元では認識していたようです。知内町では松前線が廃止されると海峡線が通過するだけになるので新湯ノ里信号場で客扱いをして欲しいとの要望があり、1990年7月1日に知内駅に改称して客扱いを始めましたが、停車する列車は少なく、2002年12月1日以降は下りは青森発函館行き白鳥41号が8時37分発、八戸発函館行きスーパー白鳥17号が19時25分発、上りは函館発八戸行きスーパー白鳥14号が9時37分発、同じくスーパー白鳥28号が16時24分発と1日4本しか停車しません。停車駅の少なさはJRでは石北本線の上白滝駅の1日上下1本ずつに次ぎ、同じく石北本線の下白滝、新栄野の下り1本、上り3本の計4本に並ぶのではないでしょうか。石北本線の上白滝駅に1日1往復しか停車しなくなったのは1986年11月1日のダイヤ改正からで、他に天幕、中越、奥白滝がありましたが、いずれも2001年6月30日限りで廃止されました。

乗車 1985.3.1、1987.2.16

駅名 起点からのkm

(木古内)  0.0

森越    5.2 1937.10.12




渡島知内  8.2 1937.10.12




重内   11.3 1962.12.25




湯ノ里




千軒   24.2 1938.10.21碁盤坂
          1972.3.15 改称




渡島福島 33.1 1942.11.1




白符   35.9 1957.1.25




渡島吉岡 38.7 1942.11.1




渡島大沢 45.2 1946.12.15




及部   48.0 1957.1.25




松前   50.8 1953.12.8




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