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万 字 線


国鉄監修「交通公社の時刻表」1984年12月号より転載

1914.11.11 万字軽便線として開業
1922.9.2   万字線に改称
1985.4.1   全線廃止

 万字炭鉱の開鉱を機に1913年、軽便鉄道法による軽便線として建設され、翌1914.11.11に万字軽便線として開業しました。
 沿線に続々と炭鉱が開鉱し、最盛期には13鉱を数え、1960年代初頭までは年間40万トンの石炭を算出しましたが、その後国のスクラップアンドビルド政策により1963年より炭鉱の閉山が始まり、1970年代前半までにほとんど閉山し、最後に残った美流渡の伊藤鉱山がトラックに切り替えたため、1978年に貨物列車が全廃されました。
 さすがに1968年の赤字83線には相当量の石炭を輸送していたためか顔を出さなかったものの、国鉄再建法による特定地方交通線選定の際には基準期間の平均輸送密度が346名だったため第1次廃止対象に選定され、1983年の白糠線に次いで、渚滑線、相生線と共にバス転換となりました。
 もともと沿線には北海道最大手の北海道中央バスが路線を持っており、運賃(通学定期を除く)、フリークェンシーのどちらをとってもバスに軍配が上がるという状態で、廃止代替バスにしても万字炭山まで行く系統を新設した程度でした。

 1999年8月20日から22日まで全国の合唱団が集まってのイベントが札幌であり、せっかくだからと8月18日から26日まで夏期休暇をとって参加し、大洗−苫小牧のフェリーでマイカーと共に渡道しました。まずはじめに万字線の廃線跡に沿って走ったつもりが、上志文の先のY字路で右に行かねばならないところを左に行ってしまい、三笠へ出てしまったのでまず幌内線を回ることにし、それから再び万字線を回ったのですが何とか暗くなる前に回れました。両線ともほとんどの駅が残っていたのが嬉しかったです。 

乗車 1985.2.27  1999.8.19マイカーで廃線跡に沿って走行

 
万字駅手前に残る踏切跡/万字炭山駅手前に残る橋台跡

駅名 起点からのkm 開駅年月日


(志文) 0.0 1914.11.11

1999年8月 ホームの左側から万字線は出ていました
 

 
志文付近の跨線橋に残る「万字線」の文字/畑の中を廃線跡がまっすぐ通っています。

上志文 6.6 1914.11.11
 

1999年8月。駅舎がほぼそのまま残っていました。現在は物置として使用されているようです。ホーム側は何も残っていませんでした。
 

 

朝日 12.2 1919.11.11
 

1999年8月 「万字線鉄道公園」になっています。現在はホームに「B20」型SLが静態保存されています(鉄道ジャーナル社「旅と鉄道」2001年夏増刊夏休みスペシャル(No.132)参照)。
 

 

 

 

 

美流渡 15.9 1914.11.11
 

1999年8月 交通センター・交通公園になっています。
 

 

万字 22.3 1914.11.11


1999年8月 簡易郵便局とバス待合室になっています。停留所名は「万字簡易局前」ホームは建物の裏手の階段を下りたところに残っていますが、駅名表は残っていませんでした。
 

 

万字炭山 23.8 1914.11.11
            1924.9.1客扱開始
 

1999年8月 旧駅舎は個人の家になっており、中でテレビを見ていた人に「ここが昔の万字炭山駅ですか」と聞いたら、「そうだ」との返事はありましたがそれっきりでした。廃線跡巡りで訪ねて来る人が多く、迷惑に思われていたのかもしれません。そのせいかここには他の駅にあったような「跡碑」はありませんでした。
 
表側/ホーム側

 
非常に広い構内でした/一応「野原山荘」と呼ばれているようです

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