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関  東


 関東には特定地方交通線で廃線になった線はなく、1次線の木原線が1988年3月26日にいすみ鉄道に、2次線の真岡線が同年4月11日に真岡鉄道に転換されました。1984年4月1日に相模線寒川−西寒川間が、1997年10月1日に信越本線横川−軽井沢間が廃止され、1985年3月14日から9月16日まで常磐線の牛久−荒川沖間に万博中央駅が科学万博のための臨時駅として設置されました。民鉄では東武鉄道熊谷線(熊谷−妻沼、10.1km、駅数4、更新2003年4月23日)が1983年6月1日に廃止されています。



(寒川−西寒川)
  

1922.5.10  相模鉄道の寒川ー(貨)四乃宮2.0kmが開業
1923.2.5   寒川から1.6km地点に(貨)東河原が開駅
1940.4.20  (貨)東河原を昭和産業と改称し、客扱いを開始。
1944.6.1   国鉄に買収される。昭和産業と四乃宮を統合し、西寒川に改称(寒川から1.5km)。
1954.10.1  客扱廃止
1960.11.15 客扱再開
1984.4.1   廃止

 関東地方で、そして東京近郊区間区間唯一の廃止路線となりました。廃止直前には列車本数が1日4往復と、これまた東京近郊区間では最少でした。相模鉄道は現在横浜−海老名および二俣川−湘南台に通勤電車を走らせていますが、かつては神中鉄道と呼ばれ、後に東急傘下に入り、1943年4月1日に合併し1944年6月1日に現相模線が国鉄に買収されました。その後の歩みはご存知の通り、相模鉄道が20メートル4扉の通勤電車10両編成が頻繁に走り、15社目の大手私鉄となったのに対し、相模線は非冷房のキハ10・30系がよたよたと走る状態が長く続き、91年3月にようやく電化されて205系が走るものの全線単線でしかも4両編成とずいぶん差をつけられています。それでも幹線なのは立派で、沿線のベッドタウン化と京王線の橋本延長により順調に乗客が増えているようです。

 この3枚の写真はいずれも1980年9月14日に撮影したもので、西寒川の駅舎?は上屋だけでもちろん無人です。北海道に多かった仮乗降場より落ちますね。あちらは小さいながらも待合室はありました。なお、当時はまだ旧塗色のキハ30系が走っていました。

信越本線(横川−軽井沢)

 北陸新幹線高崎−長野間の開通と引換に信越本線横川−軽井沢間が廃止され、軽井沢−篠ノ井間が第三セクターしなの鉄道に転換されました。横川−軽井沢間には旅客の乗降を扱う駅はありませんでしたが、横川から6.1km、軽井沢から5.1km地点に熊ノ平信号場がありました。急勾配での安全を期するため、先行列車が熊ノ平信号場を通過してからでないと続行列車は発車出来ない規則になっていました。
 熊ノ平は横川−軽井沢間がアプト式で開通した1893年4月1日に給水給炭所として開設され(もちろん当時はSL)、1906年10月1日に駅に昇格しましたが、粘着式に変わった後の1966年7月2日に廃止され、信号場となりました。
 1950年6月9日早朝、熊ノ平駅を突如山崩れが襲い、職員および家族50名が犠牲となる痛ましい事故が発生しました。その殉難碑および霊堂が構内にあります。

 
熊ノ平を通過する上り「あさま」/殉難碑の説明板

 
殉難碑(読みにくいですが)/霊堂

万博中央駅(常磐線牛久−荒川沖、1985.3.14から9.16まで開設)

終了後も地元では存続を希望したのですが国鉄の財政事情もあり実りませんでしたが、13年後の1998年3月14日改正でひたち野うしく駅として再スタートを切りました。
 

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