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上 山 田 線



国鉄監修「交通公社の時刻表」1985年6月号より転載



1895.4.5   筑豊鉄道飯塚−臼井間開通
1897.10.1  九州鉄道に合併
1898.2.8   九州鉄道臼井−下山田間開通
1903.12.20 九州鉄道下山田−上山田間開通
1907.7.1   国鉄買収
1909.10.12 現在までつながる「国有鉄道線路名称」が制定され、筑豊線の部筑豊本線となる
1929.12.7  上山田線に改称
1966.3.10  上山田−豊前川崎間開通
1988.9.1   全線廃止

 1往復を除き上山田で列車は分断され、しかも上山田−豊前川崎間は4往復のみ、うち1往復が上山田線の直通列車で残り3往復は漆生線へ直通する変わった運行形態をとっていますが、これは後述する建設の歴史が関わっています。

 筑豊炭田の石炭を若松港から積み出すために筑豊興業鉄道(→筑豊鉄道)若松−直方間が1891年8月30日に開通したのを皮切りに、1892年10月28日に小竹まで、1893年7月3日に飯塚まで、筑豊鉄道により臼井まで、九州鉄道により下山田と延長され、1903年12月20日に上山田まで全通しました。鉄道国有法により国鉄に買収され、1909年10月12日に若松−上山田間が筑豊本線となりました。
 一方、1901年12月9日に九州鉄道により飯塚−長尾(現桂川)間が開通し、国有化の後1909年10月12日に長尾線となりました。1928年7月15日に長尾線長尾−筑前内野間が開通し、更に1929年12月7日に筑前内野−原田間が開通しこちらが筑豊本線になったため、上山田線に改称され、筑豊本線の一支線に転落しました。
 1955年、石炭合理化対策の一環として苅田港が石炭積出港に決定したため1953年の鉄道敷設法別表改正で登場した「110ノ3 福岡県油須原ヨリ上山田ヲ経テ漆生附近ニ至ル鉄道」に沿って漆生から田川線(現平成筑豊鉄道)油須原までの新線「油須原線」が計画され、1966年3月10日、漆生−嘉穂信号場(大隈−下山田間に新設)が漆生線として、上山田−日田彦山線豊前川崎間が上山田線として開通したものの、当時すでに石炭産業が斜陽になっていたため建設の意義が失われたましたが、それでも豊前川崎−油須原間の延長工事を続け、レールも敷けて完成間近の1980年に予算凍結により工事が中止され、第三セクターの引き取り手も無く残骸が放置されることとなりました。

 国鉄再建法による特定地方交通線選定の際は基準期間の輸送密度が1,056名で、営業キロ30km未満で両端で他の国鉄線に接続しているため第2次廃止対象に選定されました。山田市が上山田駅裏に市営団地を建設して少しでも利用者を増やそうとしたり、地元では油須原線の開業と共に、桂川−臼井間に新線を建設し、篠栗線を経由して博多へ直通列車を走らせるのと同時に筑豊横断鉄道構想を描いていました。しかしながら桂川−臼井間の新線建設については予想外に建設費がかかるため断念、上山田線の輸送密度も1986年には698名に落ち込んだこと、ここも西鉄バスが稠密な路線網を張り巡らしていること、やはりマイカーが主流となっているため鉄道の存続を断念、九州の2次線としては最後に1988年9月1日に西鉄バスに転換されました。

 山田市の人口は2002年10月1日現在で11,500人と市では北海道歌志内市の5,793人(2003年5月31日現在)に次ぐ少なさです。どちらも旧産炭地と言うのが共通点です。

乗車 1985.8.7


駅名 起点からのkm 開駅年月日


(飯塚)   0.0


平恒    1.5 1898.3.29平恒分岐点
          1917.3.12新平恒(貨物駅)
          1939.5.29平恒(貨物駅)
          1948.5.8 客扱開始



臼井     7.0 1895.4.5


大隈    9.6 1898.2.8




嘉穂(信)  10.7 1966.2.28



信号場にまでナイスミディパスのポスターとは国鉄も商魂たくましくなったものでした


下山田   12.4 1898.2.8  貨物駅
           1903.12.20客扱開始




上山田   14.4 1901.6.28 貨物駅
           1903.12.20客扱開始




熊ヶ畑   17.4 1966.3.10




真崎    22.1 1966.3.10




東川崎   23.7 1966.3.10



(豊前川崎) 25.9


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