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相 生 線


国鉄監修「交通公社の時刻表」1984年12月号より転載

1924.11.17 美幌−津別間開通
1925.11.15 津別−北見相生間開通で全通
1985.4.1   全線廃止

 この付近から切り出されるアカエゾマツ、トドマツ等の木材輸送のため1923年3月に着工されました。明治末期より美幌から阿寒を経て釧路へ結ぶ「釧美線(せんびせん?)」建設運動が起こり、1912、1913、1914年に請願が採択されましたが第1次世界大戦の影響で着工されず、1922年改正鉄道敷設法にも別表「148 釧路国釧路ヨリ北見国相生ニ至ル鉄道」が規定されましたが、財政難のためついに着工されませんでした。

 1950年代までは木材搬出で活況を示しました。1954年9月の洞爺丸台風により大量の倒木が発生し、風倒木の早期伐採早期出材早期更新が計画され、これに相生線が大活躍し、3年をかけて全て搬出しました。
 旅客列車は開通から1955年までは1日4往復でしたが、レールバスの投入を契機に9往復以上に倍増し、この時期に恩根、布川の両駅及び仮乗降場が新設されています。
 1960年代からの人口流出に加えモータリゼーションの進行及び木材輸送のトラックへの転換により輸送量は急激に減少し、阿寒湖への観光客も国道240号が舗装されたためバスで直接向かうようになりました。1968年の赤字83線に名を連ね、国鉄再建法による特定地方交通線選定では基準期間の平均輸送密度が411人だったため第1次廃止対象に選定されました。地元では輸送量の多い美幌−津別間を第三セクター化し、津別−北見相生間を町営バス化する計画を立てましたが、1984年12月7日、北海道知事の諮問機関である「北海道運輸交通審議会」が美幸線、興浜南北両線と共に第三セクター化について、沿線人口が少なくマイカーの普及、道路網の整備により鉄道輸送の需要は少なく採算の見通しが困難であり、関係自治体の大きな財政負担を招くとしてバス転換を促す答申をしました。これを受けて横路道知事は特定地方交通線についてすべてバス転換する方針を打ち出しました。また、岩内線がバス転換の方針を打ち出したことも影響しました。
 1985年4月1日に廃止され、美幌−津別間は北見バス、北見−津別−北見相生間は津別町営バス(白ナンバー)に転換されました。津別町営バスが北見発着なのは津別以南の流動が北見志向のためで、北見−津別間は赤字補助の対象外でした。

 作者が乗車した際、美幌13時48分発の725Dに乗車しようとしたところ、網走発34Dオホーツク2号の美幌着が13時55分と725D発車の7分後に到着するひどいダイヤで、その前だと網走9時38分発、美幌10時11分着の582Dで、その間に1本もありませんでした。やむなく確か760円を払って並行する網走バスに乗りました。こうしたことでもお客を失っているのです。

乗車 1985.2.2 乗車 1985.2.23

駅名 起点からのkm 開駅年月日

(美幌) 0.0 

旭通(仮) 2.0 1955.8.20


上美幌 6.2 1924.11.17


豊幌(仮) 7.9 1955.8.20
 

活汲 11.9 1924.11.17


達美(仮) 12.9 1956.5.1


津別 16.6 1924.11.17
 

高校前(仮) 17.7 1955.8.20


恩根 20.8 1956.9.20


本岐 24.7 1925.11.15
  

大昭(仮) 28.4 1956.5.1


開拓(仮) 30.3 1956.5.1


布川 32.3 1947.2.11仮乗降場
        1956.9.20正駅


北見相生 36.3 1925.11.15
 

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