Place of scenic and historic interest
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あまり長い急坂なので、背負ったお米が汗と熱でこわめしができたと言うので、その呼び名がついた。
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『霧しぐれ 富士を見ぬ日ぞ 面白き』
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山中城は、小田原に本城のあった北条氏が永禄年間(1558-1570)に築城したと伝えられる中世最末期の山城です。箱根山麓の標高580mに位置する自然の要害に囲まれた山城で、北条氏にとっては西方防備の拠点として極めて重要視されていたが、戦国時代の末期天正18年(1590)に全国統一を目指す豊臣秀吉の大軍に一日で落城したと伝えられています。
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その昔、山中新田の旅籠に巡礼姿の旅人が泊まった折、急に腹痛に襲われ世を去った。この旅人が死ぬ間際に私を地蔵尊として祭って下さい。そして芝塚を積んで、私の故郷の常陸が見えるようにしてください。そうすれば村人の健康を守ってあげます。と言い残したという。村人は旅人の言ったとおり地蔵尊を祭り、毎年7月19日を縁日とした。
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念仏石と三界万霊塔。付近には無縁塚もあり、寺の僧が供養のために建てた碑であろうといわれています。
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杯と徳利が浮き彫りにされた珍しい墓で、終生酒を愛した雲助の頭の死を悼んで仲間や土地の人々によって建てられた。
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石原坂を下る途中の北側に突き出た大きな岩は、念仏石と呼ばれ、その前には約1mの自然石に南無阿弥陀仏・宋閑寺と刻んだ碑がある。旅人の行き倒れを宋閑寺で供養して建てたものと云われる。
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